Scriptorium 1 – libellus: 個体化理論の今昔
http://www.medieviste.org/scr1/archives/000260.html
Author: ManabuKANAI
2013/02/05
メモ:
2013/02/04
現代の日本社会でアーティストとして生きる理由 -連載・コラム:CINRA.NET
メモ(以前TW上で田中功起の射程は私の当初予想より広いのではないかことについての注釈として。):
http://www.cinra.net/column/motannual2012.php?page=5
田中:ある考え方の下で規範化された場では、それを受け入れるから平穏に生きていける現実もあります。制度も慣習も、もともとこの世界を便宜的に区切って円滑に社会が営まれるように生まれたものですからね。でも、アーティストはその慣習から離れた場所にも可能性を求め、異なる立場から別の考え方を提唱することができると思うんです。ただ今回の作品は、美術館やその制度と安易に敵対するわけではなく、いわば共犯することで可能性を探りたいと。『踊る大捜査線』で言えば、室井(システム内部の変革)と青島(現場の変革)みたいな(笑)。そしてここで試されていることは、アートに限らずどの分野にも通じることかもしれません。アートの世界で変革ができないなら、社会全体も変えられないだろうというのが僕の今の考えです。
2013/01/14
メモ:英語で読めるシモンドン文献リスト
Lukas Verburgt’s Blog
Gilbert Simondon: translations [re-updated]
http://lukasverburgt.com/2011/10/26/gilbert-simondon-translations/
As far as I know there are still no ‘offical’ English translations available of the – highly interesting work of Gilbert Simondon.
However, there do circulate some translations on the internet – most notably his book On the Modes of Existence of Technical Objects. Others include ‘The Position of the Problem of Ontogenesis, ‘Technical Mentality’ and a 1966 , review by Gilles Deleuze – for whom Simondon was a great inspiration (think of his distinction between singularities and individuals and the notion of individuation) – of ‘L’Individu et sa genese physico-biologique’. All of these are truly worthwile.
Update
Some translations of the work of Simondon I didn’t know of (thanks to Terrence Blake from Agent Swarm
Topology, Chronology and Order of Magnitude of Physical Individuation
Topology and Ontogenesis
The Physico-Biological Genesis of the Individual
The Individual and Its Physico-Biological Genesis
Chapter 1 of Physic and Collective Individuation
A new translation of Gilbert Simondon’s ‘Two Lessons on Animal and Man’ by Drew Burk will be published by Univocal Publishing. I haven’t heard of the publisher, but it seems promising; check out their website here.
2013/01/14
メモ:
2013-01-13 – 偽日記@はてな
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130113
桑山忠明の作品はあきらかにアメリカ型のフォーマリズムの問題を継承している。例えばその特徴の一つに非造形性というのがあると思う。造形とはつまり、特定のフレームがあってそのフレームのなかに「よい形」が配置されることだ。あるいは、形が形として見えるためにはフレーム(地)が成立していなければならない、というようなこと。例えばインスタレーションのように空間全体がフレームとなったとしても、フレーム内の形が問題であれば造形的なものだということになる。対して、例えばジャッドの規則的に並んだ直方体(というか箱)の作品などでは、置かれたモノ(直方体)が作品なのではなく、そのモノが置かれることでその場所が作品となる。そこには図と地の区別がなく、人はモノ(実の形)を観ているのでもモノとモノの隙間(虚の形)を観ているのでもなく、空間を分節する仕草のようなものだけを観ることになる。つまり「形」がなくて、いわば空間=リズムだけがある、ということになっている(空間がリズムによって満たされている、というのか)。つまり、そう見えるように絶妙に直方体を配置するわけだけど。いやそれでも、でもここに直方体があるじゃん、と言って指さして、直方体の方に注目してしまうと、それはすぐにモノ(図、造形)になってしまうのだけど。
2012/12/14
Exhibition
3 Japanese Artists in WEYA2012
Date:2012.12.12[WED]-12.16[SUN]
Place:Youkobo ART SPACE, Tokyo
2012/10/19
Exhibition
神田コミュニティアートセンタープロジェクト
TRANS ARTS TOKYO
実施日時:2012 年10 月21 日(日)~11 月25 日(日)12:00-19:00 (火曜日休み)
会場:旧東京電機大学校舎11 号館ほか(東京都千代田区神田錦町2-2)
参加料:500円(期間中何度も使えるパスポート制です)
WEB:http://www.kanda-tat.com/
こちらではオープンスタジオをしています。
本当にオープンスタジオなので、散らかしたり、片付けたり、立ったり、寝転がったり、作品を作ったり、作らなかったりしています(毎日いるわけでもありません)。11月中旬ぐらいだと、何かしら見るものができている可能性はあります。
会場で興味を持って頂けた方にお会いできたら、作品を成立させる方法論を考えることについて、おはなしでもできればと思っています。
2012/09/28
Exhibition
隅田川Art Bridge
隅田川新名所物語2012
[会期]2012年10月27日[土]―11月7日[日]
[時間]10:00~17:00(最終入場16:30)
[会場]隅田公園リバーサイドギャラリー (台東区花川戸1-1 隅田公園地下)
※入場無料
[WEB]http://gts-sap.jp/modules/ev_iap/index.php?page=article&storyid=40
企画の意図は以下のようなものらしいです……が私のような者にとっては、必然的に「観光」や「名所」といったような枠組みを吊り支える制度自体と美術作品がいかに関係ないかをベースにして作品が成立せざるをえないのが皮肉と言えば皮肉です(笑)。
◎「隅田川新名所物語 2012」展
出品者が事前にこの地域のリサーチを重ね、各々新たな視点からこの地域の隠された『名所』を見つける。それぞれの探索、取材から感じたこの地域の歴史の断層を、主に絵画やマケット、ドローイングなどの作品に作り上げていき、最終的に10月下旬からの『隅田川新名所物語2012』展を開催。
◎「隅田川新名所物語」ガイドブック (展覧会場にて配布)
「隅田川新名所物語2012」展出品作家の作品図像と、その作品の背景となった取材地点をマップ等を絡めて紹介するガイドブックの制作。
◎出品者によるアーティスト・トーク
10月27日[土]、28日[日]、11月3日[土]、4日[日]
各日ともに 13:00〜15:00
お暇でしたら、スカイツリー観光のついでにでも(苦笑)お立ち寄り下さい。
以下、観光について。おなじみのシアトリカリティにおけるプロセニアム←→キャンプ対立的な話ですけれども。(一瞬、ソンタグのCampをテントと張る野営のCampと混同しているような気がするのですが、全体の文意としては状況に属さないオスカーワイルド的ダンディズムな切断と野営に、ホモグラフとしてのCAMPを捉えているっていうことになるんですかね)
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/module/Study/OKK051129_theater2/index.html
現代における劇場の可能性──インタビュー〈2〉
【岡崎】 基本的にマイナーな美術批評家でしかないフリードは、スーザン・ソンタグのような売れっ子の批評家の見解に異を唱えていたように見えますが、けれど問題構成でとらえるとシアトリカルという問題設定自体、ソンタグが『反解釈』で行った批評、特に「キャンプに関するノート」で書いたものと重なっているのですね。キャンプというのは、非常におもしろい概念です。これを僕なりに分かりやすく説明すると、キャンプはどこでもできる。工場でも戦場でも、公衆トイレであっても。観光地でキャンプするのでなく、キャンプするとそこが観光地になる。というわけでキャンプは、その場にいながら、その場にいず、無関係にその場を観察するという装置となる。「キャンプ」というのは関係の切断を意味している。ソンタグが、欲望を抱かずにポルノグラフィを見るのがキャンプであるという。ならば、いかがわしい歌舞伎町にテントをはってキャンプするのも同じです。その場に属していない、切断がある。そういう意味でホームレスはみんなキャンプ趣味でしょう。キャンプしている人はその場にいながら、その場の外にいる。宇宙人みたいなもので、まるで無関係なエイリアンのように欲望も利害関係も離れて観察している。それは一種のエイリネイション(疎外)であり、観客の側から主体的に行われる異化効果です。それがキャンプですね。
ソンタグによって定義されたキャンプの面白い所は、いわゆる60年代の演劇が街頭に飛び出し、現実的状況に入り込んで現実的なハプニングとして熱狂を引き起こすものを追求するものが多かったのに対して、キャンプの重要なポイントはむしろ状況への無関心であり、非熱狂、欲望の切断、場からの切断にあったことです。対象に対する美しいとかきれいだとか、汚いとか、反発だとか感情を徹底的に切断して、クールで感情移入しないのがキャンプです。オフ・ミュージアム、劇場の外に出る、ということでは似て見えても、両者はまったく両極端に離れている。熱狂=ホットとキャンプ=クールなわけです。熱狂型がルソーのいう意味で観客が主体的に確保する劇化=同化=感情移入の技術だとしたら、キャンプは観客が主体的にコントロールする「異化」の技術である。双方とは劇場というハードな建築装置、ハコモノに依存しないで成立させようという点では同じですが正反対の性質を持つ。
(……)
【岡崎】 60年代の演劇や美術は、見る側と作る側の切断される装置を批判しようとすると、どうしても単純にルソー主義になってしまった。けれど、権力によって切断を行使されるのではなく、その切断を方法論として我々が私有化して、自由に切断、接合する手段としてあるなら、どれほど深遠で高尚なものとして提示されたものでも、キャンプ的態度によって全てをキッチュにしてしまうこともできるし、逆にキッチュを高尚なものにもできる。今までの態度に同化しないという事ですから、偽者も本物もなくなる。いわば通常の疎外論ならばルソーへと傾倒していくのですが、これは疎外(エイリネイション)という効果を生産的に読み直したといえるでしょう。
それで第三項のキャンプというものを、「組織」という面からもう少し詳しく述べると、これは脱組織なわけですよ。切断していくのです。マス(大衆)として組織されてしまった観客が、一人一人の個人になる方法論としてキャンプはある。相互に無関係になることです。それは外から見ると相当関係が壊れていて、皆が妙に無関係に切れて勝手にやれということでもあるけれど。
ソンタグの言い方だとボードレールの精神的な核心もキャンプです。彼の恋愛モデルでは雑踏の中で偶然すれ違った人への恋であって、それ以上の関係を結ばない。ダンディーです。ダンディーの基本は世間的体裁との切断にある、どれほど恥ずかしいことをしていても平然としている。世俗的に規定された属性、価値概念から切断する。他者から承認されない価値観を平気でもち、社会関係や権力やお金など、既存の利害関係に還元されえない価値、プライドにすべてを賭ける。誰とも連帯せず、平然としている。これがダンディーであり、モダニストの基盤だとすれば、むしろキャンプこそがモダニズムの基盤にあるということになる。その先駆者がボードレールであり、「虚言の衰退」のオスカー・ワイルドだった。
2012/09/28
illustrator text swap & jpg export from CSV by JSP
需要があるかどうかは知りませんが、CSVのテキストデータをイラレに一行ずついれてJPGに書き出す.JS。
こことかを参考にさせて頂きました。ありがたし。
http://d.hatena.ne.jp/tittea/20080330/1206879032
parseCSVandReplace();
function parseCSVandReplace() {
//Open CSV file (last line = blank)
fileObj = new File(“/FILEPATH/list.csv”);
flag = fileObj.open (“r”,””,””);
if (flag){
var txt = fileObj.read();
}
//split csv data by newline
var line = txt.split(‘\n’);
//repeat below until the number reaches to the last line
for(var ss = 0;sstmp (ss = line number)
var tmp = line[ss];
//Replace illustrator text[top layer] with csv data(tmp)
activeDocument.textFrames[0].contents = tmp ;
//save as jpeg
jpegOpt = new ExportOptionsJPEG();
jpegOpt.qualitySetting = 100;
filename = “/FILEPATH/”+ss+”.jpg”;
saveFile = new File(filename);
activeDocument.exportFile(saveFile, ExportType.JPEG, jpegOpt);
}
return ;
}
2012/09/10
いぎりす物語 at Nottingham UK (DAY4 or 4days)
1日目
成田→ヒースロ(入国で揉める)→バスでノッティンガム→受付→部屋(鍵が無くてどうしよ)→鍵ゲット(ウルグアイの人ありがとう)→寝る
2日目
インターネット使えずiPhoneは海外モードで役立たずネット孤立状態→とりあえずランチ(オープニング)→町でsim買う(3はPaygmicroSimでもukクレジットカードでしか売らない宣言される。結局t-Mobile10£PaygSim)→下駄t-mobileを嫌う→iPhoneは諦め、結局ネット乞食状態(到着連絡などできず)→午後はお茶会→その後宿にファイルなどをとりに戻る→ネット復旧試みるが失敗→夜はオープニングパーティ(一次会:ビールがバドワイザーでちょっと笑)→その後2次会へ(超歩いた)→深夜タクシーで帰る
3日目
相変わらずのネット乞食状態→だがwinだと繋がるという情報、確かにそうだった→だが結局メールチェックなど困難を極める(とりいそぎ到着連絡だけ)→粘ったが無駄で昼前にシティに→VAの展示をチェックしつつ、改めて3UKのsimの購入に挑戦→店員さんが結局通常simをカットしてくれることに→gonzo unitで自分の作品をチェックして隣のパブで飯→食べつつsimアンロック→失敗(simなし表示)→良く見たらカットミスorz(店員さん親切だが手先は器用ではなかった)→しかたなくバスに乗ってVA=disorder@primary→アレックスに持って来たものを渡す→city→ボニントン@NTU→ノッティンガムコンテンポラリーをチェック→キャッスルで飯→モーリシャス&コートジボワールチームとローンチパーティ→11時頃までライブなど→カナダの人とバスで帰ってくる→その後ネット解決できず→依然野良wifiを拾うネット乞食状態継続
4日目
朝再びメールチェックに挑戦→macのethernet設定にdnsの欠落を発見→手入力→解決!→いそぎメールを読むだけ→cityへ→1£店でハサミとsim(為念)→va@paul smithなどチェック→小腹が空いてヌードル→食べつつ切りミスsimをハサミで切り直す→下駄に重ねるとあっさり3UKの電波!→smsでセッティングしつつネットも快適→va@maltcross→メール書きつつ移動(map!)→waverleyはsoldoutで見れず→st.petersCHは展示が無く→gonzo今日も誰もいない→broadwayに移動もinstallationが解体されて見れず→ビール飲んで夕方からreadingのパフォーマンス→キャッスルで飯→バスで帰る→大量にメール&ブログ&fb&tw→風呂洗濯寝る(だろう)
goodnight
2012/07/25
Exhibition
World Event Young Artists 2012
Date:2012.09.07[FRI]-09.15[SAT]
Place:Nottingham, UK
http://worldeventyoungartists.com/artists/kanai_manabu
participation in this event is supported by Youkobo ART SPACE
※なんかコンセプトドローイングがアートワーク写真として出ちゃってますが……。詳細は改めて。