柄谷行人【埴谷雄高とカント】
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/karatani/gunzo9704.html
(1997.02.22)
「quotes」カテゴリーアーカイブ
2010/05/10
ytkhny via kjkrtn
2010/05/10
LIFE HOUSE NORO
LIFE HOUSE NORO
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/noro/index.html
1年ぐらいご無沙汰している間に、閉店して別の場所に開店していた。
久しぶりに行きたい。いせやにも。
2010/05/09
メイキング『悪と戦う』まとめ on 20100559
告知です。5月1日の深夜(たぶん24時くらい)から、「メイキングオブ『「悪」と戦う』」という連載をします。「たぶん24時くらい」というのは、れんちゃんとしんちゃんを寝かしつけてから、ということですので、そのまま寝てしまったら、スタートは午前3時とかになる予定w。 8:15 AM Apr 30th webから
内容は、新刊のメイキングと少し突っ込んだ小説論の予定です。かねがね、文芸誌に真面目に評論を書くのが、なんか不自然な気がしていました(でも書きますが)、そういうのって、ほんと文学と関係あんのかよ! って思っちゃわけです。こういう「歩行者天国」みたいなところでこそやってみたいな、と。 8:23 AM Apr 30th webから
2010/05/02
柄谷行人『日本近代文学の起源』
古典古代の美術において、個体が「空間」とはべつにあった、つまり諸個物不等質な空間に属していたとすれば、中世美術はそれら個物の実在性をいったん解体し、平面の「空間的統一体」のなかに統合する。ここで、世界は「等質的な連続体
」に改造される。それは「測定不可能」で「無次元的な流動体」であるが、測定可能な近代の体系空間(ガリレオ・デカルト)はそこからのみ出現しうるのである。《芸術がこのように単に無限で「等質的」だというだけでなく、また「等方向的」でもある体系空間を獲得するということが、(後期ヘレニズム・ローマ期の絵画がどれほど見せかけの近代性をもっていたにしても、やはり)どれほどまで中世の展開を前提として必要としているかも、明らかに見てとれよう。というのも、中世の「大規模様式」によって、はじめて、表現基体の等質性も作り出されたのであって、この等質性がなければ空間の無限性のみならず、その方法に関する無差別性も思い描かれなかっただろうからである》(パノフスキー)。
逆説的なことは、近代遠近法における「奥行」が、いったん古典古代的な遠近法が否定されることによってしか出てこなかったということである。古典古代において、プラトンは、遠近法は事物の「真の大きさ」をゆがめ、現実やノモスのかわりに主観的な仮象や恣意をもちだすという理由で、それを否定していた。遠近法をしりぞける中世の空間は、いうならば、「知的空間」をしりぞけるネオ・プラトニズム=キリスト教的な形而上学のなかで形成されるのである。そうだとすれば、奥行き、測定可能な空間、あるいは主観–客観という認識論的な遠近法(ルビ・パースペクティブ)は、キリスト教・プラトニズム的な形而上学に対立するのではなく、まさにそれに依拠しているのである。
現代絵画における遠近法への反撥—-後期印象派は結局まだそこに属している—-は、遠近法的における「等質的空間」が、作図によって与えられたものであり、「知覚」によって与えられるものとは乖離しているという意識にはじまっている。この場合、知覚は、たとえば「手でつかむ」運動をもふくむのであって、たんに視覚に限定されてはならないし、また諸感覚としてばらばらに切りはなされてはならない。知覚は、したがって、身体は錯綜した構造体としてある。絵画におけるキュービズムや表現主義の反遠近法は、哲学における知覚・身体に対する現象学的な注視と対応しているのである。
(VI 構成力について その1 没理想論争 pp.196-197)
2010/04/27
ほ か に や る こ と は な い の か !
四畳半神話大系
http://www.veoh.com/browse/videos/category/anime/watch/v20027441AxWrH5CM
ごいすー
http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=en&q=ごいすー&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=GJDWS-GCK9CIkAWHvZSxBg
http://ja.wikipedia.org/wiki/四畳半神話大系
スタッフ [編集]
原作 – 森見登美彦
監督 – 湯浅政明
シリーズ構成 – 上田誠
キャラクター原案 – 中村佑介
キャラクターデザイン・総作画監督 – 伊東伸高
美術監督 – 上原伸一
色彩設計 – 辻田邦夫
撮影監督 – 石塚恵子
編集 – 木村佳史子
音響監督 – 木村絵理子
音楽 – 大島ミチル
チーフプロデューサー – 山本幸治
プロデューサー – 竹内文恵、尾崎紀子
アニメーション制作 – マッドハウス
2010/04/27
¥200程度が妥当な金額
六本木クロッシング2010
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html
一週間前になりますが、期待せずに半ば義務感から行って、まぁドイヒーな展覧会だったらしいよ。(但し雨宮庸介と相川勝を除く。)しかも客が人気投票するって、なんて民主主義的な。
2010/04/10
吉祥寺で会おっ!
【1】
4月5日、吉祥寺「百年」で古谷・a.k.a.偽日記・利裕氏の作品をみる。本物の作品ははじめて見ましたが、予想していたよりも分かりやすかった、っていうか、上手いわこの人。そもそも、僕が上手いとか下手とかいって良い作品の次元ではないのですが。
【2】
http://www.atre.co.jp/shiten/ebook/14/20100331/index.html#page=1
「タイトルは「吉祥寺で会おっ!」。この街の女の子たちは親しみやすさと80年代サブカル少女的な雰囲気を今も感じます。駅前から始まる街歩きには、いつもワクワク。そんな吉祥寺が、僕はずっと大好きです。 江口寿史」
だって。
知らぬ間にLONLONが無くなっていた。あと伊勢丹も無くなってた。ついでにユザワヤも建て直しになった。しかし、なぜ南町の大人の銭湯と“最高設備と景観”を誇るホテル井の頭は潰れないのだろうか。
2010/04/05
バカは死んでも治らないが、生きているよりはマシである。
・岡崎乾二郎@文化庁メディア芸術まつり(笑)
http://togetter.com/li/10652
従って、メディア芸術祭などに出てくるような作品には真に(メディア)アートなどと呼ばれる物はなにもなかったし、これからもない。これをtakawoがまとめるなど笑止千万。この人、内容を理解出来ているのだろうか。
・制作の言語の制作
http://www.ottr.cc/con_tempo/archive/july/making_1.html
僕個人的にはインタラクティヴアートと呼ばれているようなもの、メディアアートって言っても良いのかな? 敵増やしたくないけど、そんなもの無くなっちゃえばいいじゃんって思うくらいの気持ちなんです。正確に言うと、あってもいいんだけど、僕がやっていることと同じ名前で存在して欲しくないという感じです。というのも、あり方としては良いし、素材としてダメとは言ってないけど、基本的なアーティストの姿勢として、「インタラクティヴ」って言っちゃいけないような気がしているんだよね。そこの部分、インターアクトするというか、そこの部分についての人間の可能性の話をしなくちゃならないのが美術だと思うから、「これインタラクティヴアートでして」「ここを押すとこうなります」「ほら、つながってるでしょ?」、と示された時点で、死んで下さい、って思うのね俺。
・くだらない仕事は断るべきだと思う。