われわれは夜に彷徨い歩こう、そして、 すべてが火で焼き尽くされんことを。
The Hyper-Architecture of Desire
http://www.amazon.co.uk/Constants-New-Babylon-Hyper-architecture-Desire/dp/9064503435
¥ 1より
http://www.amazon.co.jp/Girum-Imus-Nocte-Consumimur-Igni/dp/4771334129
われわれは夜に彷徨い歩こう、そして、 すべてが火で焼き尽くされんことを。
The Hyper-Architecture of Desire
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対象を一定の枠組みの中に抽象化して定着させるのが制作だとして、言語的というか形態素的な(もっと言えばIllustrator的な)抽象化の作法と、網膜的な色彩の論理(Photoshop的な)は両立しうるのかもしれない。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200811/07/23/c0029623_0283753.jpg
順に並べればこうなると仮定してみる。色々間違っているのだろうが。
Georges Braque
http://images.google.com/images?client=safari&rls=ja-jp&q=Georges+Braque&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title
Leonard Cremonini
http://www.claude-bernard.com/artiste.php?artiste_id=32
Richard Diebenkorn
http://images.google.com/images?client=safari&rls=ja-jp&q=Richard+Diebenkorn&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title
David Hockney
http://images.google.com/images?hl=ja&safe=off&client=safari&rls=ja-jp&q=David%20Hockney&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Nicolas de Stael
http://images.google.com/images?hl=ja&safe=off&client=safari&rls=ja-jp&q=Nicolas+de+Stael&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title
Mark Rothko
http://images.google.com/images?client=safari&rls=ja-jp&q=Mark%20Rothko&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi
Barnett Newman
http://images.google.com/images?client=safari&rls=ja-jp&q=Barnett+Newman&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title
だが、そうすると、ミニマリストが路頭に迷ってしまう。
Sol LeWitt
http://images.google.com/images?hl=ja&safe=off&client=safari&rls=ja-jp&q=Sol+LeWitt&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title
Frank Stella
http://www.google.com/search?client=safari&rls=ja-jp&q=Frank+Stella&ie=UTF-8&oe=UTF-8
Morris Louis
偽日記経由。“古谷さんのブログを読むまで、川村記念美術館でモーリス・ルイス展をやっているなんて、まったく知らなかった”、みたいな。
川村記念美術館
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html
TAB
http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/F6F6.ja
Moris Louis(wiki.en)
http://en.wikipedia.org/wiki/Morris_Louis
Google images
http://images.google.com/images?&um=1&hl=ja&client=safari&rls=ja-jp&q=moris+loius&&sa=N&start=60&ndsp=20
横浜トリエンナーレ | YOKOHAMA TRIENNALE
http://yokohamatriennale.jp/
世界の巨匠がいっぱいですが、Impressedなヤツだけ。
Miranda July(webもカワイイ!!)
http://mirandajuly.com/
1101
blog(~2005)
Nikhil Chopra
http://www.chatterjeeandlal.com/works-nikhil-chopra.html
勅使河原三郎
http://www.st-karas.com/index1.html
中西夏之(写真撮り忘れた。床がコンクリートだったのが少し残念な。)
http://www.scaithebathhouse.com/ja/archive/artists/Natsuyuki_NAKANISHI/
Joan Jonas(巨匠、もう72歳!?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Joan_Jonas
VDB
Jimmy Robert
TATE
笹本晃
culture push
BankARTばっかり。相対的にBankARTは面白いものが多かったとは思うけれど、田中ミンの愚鈍さだけは許さん。
そういえば、なんでミランダだけ、あのウザイ「お子様はダメ」とか「不快になるかも」とかの立看が無かったんだろう? やっぱりカワイイから??
……で、思い出しちゃったんだけれど、看板自体がいらん。いつも通りなウィーンの怪人とかはB級スプラッター映画と大差なく、受容する層としては「贄(笑)」とか「儀式(笑)」みたいなものだから(いうまでもなく(笑)は万能ですので、「美(笑)」でも「近代(笑)」等々も代入可)あんな警告は不適切というより、無意味。もう見飽きてるでしょ。(そういう意味でいえば、あの看板のせいでマシューバーニーは「おしっこ(笑)」に堕してしまった。)
運営側が映倫というか、ビデ倫的なことしてどうするんだという気もしますが、少なくともR-15はやりすぎで、PG-12ぐらいが妥当じゃないかしら。
不完全性定理
不完全性定理
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーデルの不完全性定理
公理(系)
http://ja.wikipedia.org/wiki/公理
ゲーデル(誤植の量は相変わらず)
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%B2%A1%BC%A5%C7%A5%EB
加藤典洋『テクストから遠く離れて』Ⅰ「作者の死」と『取り替え子』
ひとりの読者が(『取り替え子』を)「モデル小説」だと感じるとする。その場合、このことは、そもそも、その下卑た好奇心を発動させるゆえんだとして、あるいはテクストを現実に連関させてしまうことだとして、「倫理」的に「戒められなければならないこと」なのだろうか。また、彼が、そう感じ、その後読感に照らしてこの作品を論じることは、—-たしかにテクスト論の構えからいうと禁則違反ということになるが—-、その作品の読みとして、批評として、不当なものを含んでいるのだろうか。
(pp.30-31)〔エクリチュール〕
人がある作品を書くという場合、そこでの執筆動機は彼自身にも十分にはっきりとはしていないのがふつうである。彼は、書くことを通じてそれを自分で確認していく。なぜ書くという行為が、それを自分に対してもはっきりさせる契機になるかと言えば、書くという行為の中にいわゆる作者(主体)の意図なるもの、もっと言うなら考えることそれ自体に対する抵抗の要素があるからである。(……)
しかし、最初に何の動機もなしにこの行為ははじまらないことも押さえておかなくてはならない。(pp.40-41)整理して言えば、こうなるだろう。わたし達は、テクストに促されて「作者の像」を受け取り、作者の「意」についてかくかくの信憑を受け取り、ある作中事実(テクスト内事実)Aは、それを通じ、ある作中事実(テクスト内で作者の「意」にいる作中事実の背後に語られていると信憑される現事実)Bを読み手に伝えてよこすと、考える。ところで、その作中事実Bと作品の言表行為の外にあるいわゆる現実Xとは、何のつながりもない。両者は無関係なのである、と。
(pp.67-68)
しかし、書き手が「多義性」そのもの(つまりあるテクストが解釈される場合に前提とするルール自体の破壊)をテーマにし始めたら、つまり読者が想定しうる「作者の像」が(多義性故に)無限に生起してしまう状態を志向した場合、脱テクスト論はどうなるのだろうか。それは小説ではない、ということになるのだろうか。
仮にそれを小説の範囲に含めるのならば、批評から作品論が消え去り、(メタ批評としての)作家論が復興することにはなるまいか。
Manabu KANAI Solo Exhibition
“Landscapes from the Arbitrary Places”
Date :2009.01.11[SUN]-01.25[SUN](closed on monday and tuesday)
Hours:12:00-19:00(Open until 5pm on the last day)
Place:Youkobo Art Space(Suginami, Tokyo)
Opening Reception:1.11[SUN]18:00-
Artist talk with Maeko Sato and David Franklin:1.24[SAT]16:00-
Press Release
http://www.terrainvague.info/news/press release/press_release090111.pdf
news
http://www.terrainvague.info/news/news.txt
TAB:http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/19CC
Giovanni Battista Piranesi
http://www.city.machida.tokyo.jp/event/shisetsubetsu/hanga/kikakuten/kikakuten03/index.html
相変わらずの見難さでしたが。11/24まで。
Piranesi Database
http://www.coe.l.u-tokyo.ac.jp:8080/FMPro?-db=sougouwebcp.fp5&-format=/mapsearch.html&-FindAll
Foro Romano
http://www.coe.l.u-tokyo.ac.jp:8080/p_maps/FR.html
牢獄
http://www.coe.l.u-tokyo.ac.jp:8080/FMPro
ジョルジュ・プーレ『三つのロマン的神話学試論』
「ピラネージとフランス・ロマン派の詩人たち」
好悪の相関関係={安藤美姫 > 浅田真央}={Airbus > Boeing}={ゴミ男、ネオン管 > 網膜シリーズ}={FUZZ > Distortion}≠ 「葛藤、或は対立→超克」(あくまで造形的な)