月別アーカイブ: 2009年9月
2009/09/22
僕らの変拍子
http://www.takeshihosaka.net/
保坂毅@Youkobo Art Space。
ご本人がいたので作品についていろいろ訊いてみたら、やっぱり作品を見ていて思っていた通りだった。やろうとしている事が”超どストレート”で、(たぶんコッチ系は全然わかんねー的な事を言う人も結構いると思うのですが)すごく好感が持てるし、その上でウマイって、どんだけこっちを嫉妬させれば気が済むんだ。作品を作る身としては大変妬ましい励まされる展示だった。あ、あと恥ずかしながら少しは自分にも絵画を見る力がついてきたのかなぁとも思った。
つーか、なんかスゲー良い人っぽい感じだったわ、勘違いかもしれないけど。とはいえ美術手帖に載っていたのは見たのだけれどちゃんと内容は読んでいない状態で、ご本人と色々と話して、で、その後読んだら、話した事がだいたい書いてあってちょっとショック。なんだかなぁ、不躾は承知でもっと踏み込んで話せばよかった。
※ホメゴロシっぽくなってしまったから、ちょっとした疑問点を自分用にメモ。
組作品は、組み合わせが決まっていないというのは以外だったし、そこらへん(バリエーションができる)をどう考えているのかは興味がある。インスタレーションと絵画という区分。”別に区分けしなくても良い説”もあるが、それぞれの違い(開いている⇔閉じている)は制作上の方法論の立脚点としてかなり重要、というか作り方が変わってくるのではないかと思ったりもするけど。
2009/09/09
beyond the wor(l)d !
『うわさのベーコン』 pp.65-66
わざわざ、体力の減る手術など受けてまで早く治そうとしなくても、普通にちりょうを受けていたら治っていたのものですが、手術をして下さいと医者に頼みました。
一回だけで、もう、グッタリしているのに、もう一度やって下さいと言っています。
この手術も成攻すると思います。
手術をしたら、また、グッタリしました。前よりもどんどん悪くなっている様な気がしてなりません。それは、私の見舞いにきて下さる方々も思っていらっしゃるでしょう。しかし、皆んな私の前ではそんな事を一口もおっしゃいませんでした。
せっかく助かる命も、私の我ヶままを通してもらって、先生に手術を二回もやってもらったお陰で、いずれ死ぬ人になってしまいました。私を世話して下さる人は大変でしょう。
私が死んだら、そう式(そうぎ)をして下さるのでしょうね。父、母、先立つ娘をお許し下さい。
私は死にました。死ぬ一日前に私の知っている人々が、ほとんど来て下さいました。その時は、まだ医者に私が死にそうとは誰も聞いていませんでした。皆んなが帰って後、しょうとう時間になり、もう、私は生きていけそうにもなれず、ブザーをおして看護婦さんを呼びましたが、看護婦さんが来られた時は、私はもう死んでいました。
家族が来たのがその後です。
私はそうしきをしてもらいました。その時、普段泣かない人も泣いていました。私はじょう仏できそうです。
おわり
2009/09/08
この世に一つだけの存在である私
さて、今年の夏も終わりました。
というわけで、この夏、見たものについて書いておこう。といってもこの夏は(いや秋口も)美術館にはろくな展示がなく(アイウェイウェイも鴻池もダメではないと思うのですが、最早あんまり興味ないのですよ。あ、とはいったもののMOTはリテラルにダメだから。)越後妻有をのぞいて、見た物と言えば、つまりアニメ映画2作品だけだったりする。
Evangelion 2.0
こっちは前に何かしら書いたのでもう良いのだけれど、はてな村をはじめレビューやら何やらが出揃ったところで、どうしても気になる事がある。
というのも、映画の評価は賛否両論あるようだがまとめてしまえば……
A 賛否両派=映像的にはヤバイ(CGとか作画とか演出とか)
B1 賛派=シンジくんの決断主義的態度を評価する
B2 否派=シナリオ的に、アスカの扱いも含めて葛藤(というかアイロニーとういうか、つまるところドロドロ)が足りない
という感じ。
で、賛否が分かれるBについて、まぁB2はもう前回たっぷりやったからいいんじゃねーのか、というのが僕の感想なのだけれども、とはいえベタにB1でよろこんでいるスイーツ(笑)な方が多いので、あらあらと思った次第。シンジくんの決断内容自体には価値なんてないでしょ。
タイトルが”YOU CAN ADVANCE”ではなく、”YOU CAN (NOT) ADVANCE”であることを忘れたのか。χαραに庵野秀明という男がいるのを忘れたのか。忘れっぽい方々の為に、もう一度アレをを貼付けておこう。油断すれば痛い目にあう事を、再びあのトラウマから学び直すべき。
Summer Wars
相変わらずのネ申演出。おばあちゃんが死んだ朝の長回しとか、夏樹先輩が小指を握るのが、侘助とおばあちゃんに接続されるとか、馬過ぎ。が、「ときかけ」で期待が高まりすぎたせいもあって、不満もいっぱい。
・家族を美化し過ぎ。田舎の親戚なんてもっと醜悪なものだ。(だれがパチンコで破産したとか、あそこんちの嫁は子供産んだが父親がわかんねぇとか、そんなゴシップばかり。あとゲイとかは抑圧される≠カズマくんのことではない……いや、もしかしてカズマくんが表象しているのはそういう立ち位置なのか?だから、暗い部屋で1人でネットなのか?だから二次創作でゲイなのか?)
・何よりも侘助がカワイソスぎる。侘助は1ミリも悪くない。
・ババアは何か分かっているようで何も分かっていないのに、良い人として扱われすぎ。
・結局、「家族」というモノが、「近代のソレ」から何も変わっていない。(まぁ、最後のドイツ人少年によってそこんところは救われたが、だったらここでアバターの小指つなぎ的演出があってもよかったかと)
・ネットでの連帯に希望を描くならば、もっと非倫理的なカタチで、つまり2ch的”祭り”のようなカタチで書かれたほうが、よっぽど倫理的ではないか。「愛は地球を救う」的な話というようなフレームワークに落ちていってしまうとすればなんだかなぁ、と思わざるをえない。それよりは勘違いのノリで集まり、キングカズマで「神キターーー」的展開となり、その他オープンソース系コミュニティの職人の加勢もあって、なんとなく助かった、みたいな。
・で、夏樹先輩は何もしない割においしすぎじゃないか。
・あと、リアルな話で恐縮だが、サーバ管理者は何やってんの?あと端末が古過ぎ。
・最後に、グローバルなネットワークプラットフォームのデザインが村上って美術史的にはあり得ないし、最悪。村上がやってんのは西欧の歴史に属せなかった極東の土人がその歴史に居直る作戦でしょ。(村上のそういう戦略自体がしょーもないのは言うまでもないから、それは置いておいても良いとして)これじゃあ外人連中は黙っていないだろうし、逆に彼らを村上が淘汰するのが未来なのだとしたら、これ以上恐ろしいことはない。
2009/09/02
NISHIOGI GO IHS IN
路地in善福寺さくら町。昨晩、散歩していた。
http://qwalunca.blogspot.com/2009/07/blog-post_23.html
http://mahalo5656.exblog.jp/3933141/
http://naka54ori56zang66.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/2-3d14.html
http://www.odani.net/odn/?p=14
MOYAMOYA
#1
#2
http://televiewer.nablog.net/blog/f/20183250.html
1st ranked department store
アラーキーはダンテ→慈光→ベガ→鞍馬(無相創にはいっていない)。2008年の春。私はそっち系なら夢飯よりハンサム派ですが。
http://www.5-life.net/magazine/article-284.html