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2015/09/29
浅田彰インタビュー(1998) by Krystian Woznicki @ nettime.org
ついでに’Otaku Philosophy’の中に出てきた浅田彰のインタビューもやってみます。
http://www.nettime.org/Lists-Archives/nettime-l-9802/msg00100.html
To: Nettime-l {AT} Desk.nl
Subject:
From: Krystian Woznicki
Date: Fri, 20 Feb 1998 02:48:35 +0900 (JST)
Sender: owner-nettime-l {AT} basis.Desk.nl
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宛先:Nettime-l {AT} Desk.nl
題名:
差出人: Krystian Woznicki
日付: 1998年2月20日(金)02:48:35 +0900 (JST)
浅田彰は10年以上に渡って、日本におけるもっとも多作な編集者、キュレーターである人だ。東京のICCにおいて、彼は磯崎新とともに大規模な都市設計プロジェクトに取り組んできた(そこには、建築とニュー・メディアの融合があった)。新しいテクノロジーを基盤とする概念に関連する、ジェンダーとコミュニケーションといった問題を探求する若い芸術家を支援することは、また彼にとって同様に重要なことであった。
しかしながら、彼の活動はいわゆるニュー・メディアの領域を大きく超え、また彼の母国の国家という領域を超えるものでもあった。いったい、何が彼の様々な活動をつなぐ共通項なのだろうか? インターディシプリン性の孤独、ということでもないようだ。もしかしたら、彼の仕事について、それが何か単一的なもの(’Werkarchitektur’)なのだと考えるのをやめてみる、というのが良いのかもしれない。彼の著作は、カノンを作り上げようというところ向かって行っているようにはあまり見えず、どちらかといえば’直観主義的’な介入に向かっているように見えるのだ。
彼は25歳という若さで、比較的小さな国においてではあるが有名になった。
彼の『構造と力』を含む最初の2冊の著作は、国内におけるベストセラーとなった。
これらの著作は、純粋な理論として初めて書かれる種類の本であった。あるいは、これらの著作は「ポップ・アカデミズム」と呼ばれる当時の時流の中で読まれた、と言えるだろうか。浅田は後期ドゥルーズや、その他フランスのポスト構造主義の思想家を紹介した。今日の視点から見れば、彼の著作やキャリアにはこの二つの著作と同じような難問が現れており、この著作は、彼を、いまなおデリダやジジェク、また後期ルイジ・ノーノらを含む西欧の思想家たちの議論に巻き込ませていくことになったのであった。
ヨーロッパ(主としてフランス)、そしてアメリカをめぐるレクチャー・ツアーに加えて、彼は京都大学で経済学を教える時間を工面している。この1年半の間、何度か彼に会った機会に、私は彼の現在の活動の背景について質問したのである。
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Krystian Woznicki: 80年代における、日本国内でのポスト構造主義の紹介は、
本質的に「知識/理論の消費」という議論と結びつき、とりわけフランスの思想家たちは徹底的にマス・メディアの中で扱われ、採用されてきました。その発展の様子を話していただけますか?
浅田彰: 実際、日本は翻訳の天国です。すでに60年代、70年代において、私たちはベンヤミンやアドルノ、ドゥルーズやデリダなどの翻訳のいくつかは、手にしていたのです。しかし、それはアカデミックな場の中で読まれ、議論されていたのです。そして83年、私は本を書きました。それは今日ポストモダンと呼ばれる、フランスの理論について要約したものでした。皆驚いたことに、あの本はベストセラーになり、私を文化的なヒーローにしてしまいました。私はクレイジーなメディアの人々に追い回されるようになったのです。この私の個人的な体験は、いかに理論が消費されファッションになるのか、ということの一つの症例でしょう。ある意味では、私はまさに消費され流行になるという理論によってメカニズムを分析していたのです。しかし、ポストモダンな消費社会において、まさにそれを理論化すること、それ自身が、消費社会によって消費し尽くされてしまったのです。
KW: 今日の観点から振り返って、そこには日本に特有で顕著な状況があったのでしょうか?
AA: そうですね、少なくとも80年代にはもっとも深刻な症例を見いだすことができるでしょう。日本の消費社会は極点の、非常に発達した、ある種もっとも進んだものだったのです。例えば、ボードリヤールは消費社会を分析しましたが、しかし日本においては百貨店のマネージャーでさえボードリヤールを読んでいたのです。実際のところ、彼らは読む必要すらなかった。なぜなら、彼らはその全てをよく知っていたからです。彼らは商品に内在する価値なんて信じておらず、パロディー的な広告を作ることによって、意識的に消費者の欲望を操作していたのです。しかし、もちろんこれは世界のあちこちで起きていることの中における、ひとつの深刻な症例にすぎません。
KW: 消費の拡張的な理解の視点から、具体的な経済の将来予測や労働力などを見たとすると、いったい何が80年代における、ポストモダン理論の貪欲な消費のパラメーターだったのでしょうか?
AA: それは難しい質問ですね。少なくとも、45年(終戦)から70年代初頭にかけて、日本の文化と社会は、本当にモダニストになろうと挑戦していました。しかし、一部は経済成長の成功によって、また一部はポストモダン理論の輸入によって、人々はモダニズムについて関心を向けることは無くなってしまいました。人々は、ポストモダン時代において自身のルーツを探ろうとしましたし、またそれをポストモダン理論と統合しようともしました。そしてとりあえず、彼らは自身のルーツを、鎖国していた時代であり、全てがパロディー、パステーシュ(模造品)になった江戸時代に見出したのです。江戸時代、それはすでに消費社会の範例(パラダイム)を体現していたのであり、そこでは全てのものが引用のプロセスの中で変形され、そして非常に巧みに再利用されていました。実際、歴史の終わりを論じたコジェーヴは、江戸時代に言及して「日本における歴史は1600年においてすでに終わっており、それ以降、日本社会はすでにポストヒストリカルな状態にあった。そこで人々ができることは、すべて既になされたことを繰り返すことでしかない」と言っています。そして明治維新(1868)以降、私たちは自身を近代化することに非常に注力してきました。しかしながら、70年代、そして80年代、私たちは偽の江戸的心性の再生起に立ち会うことになったのです。そして人々は前近代的心性と、ポストモダン理論とを統合しようとしました。しかし、今やそれはゲームオーバーで、私たちはこれ以上同じゲームを続けることはできません。新たなものの幕開けの時が来たのです。
KW: あなたが、文芸批評家の柄谷行人立ち上げた『批評空間』 は、マサオ・ミヨシやE.W.サイード、F.ジェイムソンなど国内外の様々な学者を顧問委員として巻き込んでいますね。こういったことは、この文脈に関係するのでしょうか?
AA: 私たちは対話の場を作り上げたいと思っているのです。過去との対話、そして外との対話を。すなわち、私たちは西欧とアジアの学者をフィーチャーするのです。ポストモダン理論が80年代に流行したことによって、私たちはスタート地点を忘れてしまいました。1920年代から、私たちにはそこそこしっかりとしたマルクス主義の伝統があったのです。そしてそのような中から、小林秀雄——ワルター・ベンヤミンと比較できるような人ですが——のような人が出てきたのです。50年代、60年代、私が学生だった頃にはモダニストのカノンがありました。最近なくなってしまいましたが、丸山真男という日本のマクス・ウェーバーとでもいうべき人がいて、近代化や民主化についてのカノンのような理論を与えてくれていたのです。そして事実、皆、小林や丸山を読んでいました。そのような中から、後に紹介されるようになるポストモダン理論も出てきたのです。しかし、今や、若い世代はスタート地点を忘れてしまったように見えます。彼らは小林も丸山も読みません。従って、私たちはある種の二重の戦略を必要としているのです。私たちはある種のモダニストの伝統たる批評を続けなくてはなりません。そしてポストモダンの思想家との対話も続けなくてはいけません。一時的に、空間的に、こういた議論の場を切り開かねばならないのです。これが私たちが『批評空間』をはじめた理由です。
KW: 『インター・コミュニケーション』誌についてはどうでしょう? それはまだ発想段階の出版企画かもしれませんが、費用や戦略を考えてはおられると思いますし、それはある種の他に類を見ない、パイオニア的なプロジェクトのようですが。
AA: それについては約7年間取り組んできました。これは技術と文化の対話についての雑誌です。
KW: 実際、この雑誌の(そしてまたICCプロジェクト全体の)金銭的基盤は、日本の最大の電話会社NTTが提供しますが、編集方針に影響は?
AA: そうですね、確かにNTTの人を説得するのはとても骨が折れます。ICCを作る時もそうでしたし、研究活動のリソースや出版活動を始めようとする時もそうです。今までに、ある程度成功した部分もあります。しかし、私はあまりそのあたりははっきりしたことは言えません。とりあえず、今、彼らはセンターを持っていますが……それが形になったら、簡単に制度化され、官僚化されてしまうでしょう。従って、私はこれまで私たちがやってきたことがこれからも続けられるかどうか、よくわからないのです。しかし、少なくとも今までのところ、会社からはほとんど影響や圧力を受けていません。
KW: 私は、これからのマルチメディアやインターネットというもののなかで、通常これからどうしていこうという計画を持っているであろう電話会社と、一緒になって研究をしていこう、ということがどういう意味をもつのかなぁと思っているんですが。
AA: 実際、NTTは巨大な官僚組織であり、そして統一的なアジェンダを持っていません。そこには大量の人が、統一性も統一的戦略もなくいるだけなのです。彼らは共同体としての日本、そしてその神話について話しているだけなのです。まさに巨大な官僚制の無益の最たるところです。皆、何か喋りたいだけで、誰も責任をとる用意はない。それと同じことがNTTでは起きています。彼らはたくさんの研究所をもています。例えばヒューマンインターフェース研究所、基礎研究所などなど。しかし、統一的な計画はありません。私たちは基本的にこのような組織を利用しているのです。
80年代後期、いわゆるメセナと呼ばれる活動が経済界の人々の間で流行しました。ある意味ではICCプロジェクトはメセナ活動と関連するも、すなわちNTTのビジネスからは独立しており、彼らの手から離れた活動なのです。そういうためにも、私たちはどうにかこうにか独立してきました。少なくとも、私の個人的な視点からすれば『批評空間』と『インター・コミュニケーション』は戦略の両面を担うものなのです。『批評空間』においては、私たちはわざと保守的な批評の伝統を続けてきました。それはとても時代遅れのように見えるほどです。しかし、わざとそうしていたのです。なぜなら私たちは、クレイジーな情報社会のなかで、この種の良質な、古き良き批評の基準(笑)を失ってきたからです。その一方で『インター・コミュニケーション』では、新しい地平を切り開き、文化や技術科学と呼ばれてきたものの議論を刺激したいと思っています。差し当たり、もし文化と技術が互いに相補的でないならば、この統一的なプロジェクトの曖昧な側面になると思っています。
KW: 『インター・コミュニケーション』プロジェクトは、連動する展覧会プロジェクトやワークショップの試みなどによって、広く様々な領域の知見を取り扱っていますがますね。そこでは領域という考え方自体がもっと広く捉えられている。ICCプロジェクトでは、どのようにしてこのような様々な領域を対話のなかに持ち込む試みがなされているのですか?
AA: あなたが普段、インターネットについて話すとき、そして電気的なネットワークについて話すとき、あなたはアーティスティックなコミュニケーションを手にする可能性があるのですが、しかし、同時にあなたは電子マネーや電子暗号といった問題も抱え込むことになりますね。つまり、そこには広範な問題があるので、それらを理解するには、私たちは同時に様々な領域の人々の話を聞かなくてはならないのです。もちろん、中心的な事柄は、テクノ芸術と呼ばれてきたようなもののことです。しかし、私たちはテクノ美学者など必要ではないのだ、と言っておきましょう。そこには社会問題、政治問題、経済問題、そして軍事問題が新しい電子技術に関わるものとしてあるのです。私たちは、あえて社会的、経済的、政治的、軍事的といった全ての側面を議論し、同時に芸術的問題について議論するのです。
KW: まだ説得的な方法論が見つかっていないのに、メディア/文化研究はアメリカでは非常に流行しています。日本ではどうですか?
AA: アメリカの状況とは、やはり少し違うでしょうね。なぜなら、アメリカでの中心的な問題はマルチ・カルチュラリズムと呼ばれるものだからです。この接合部に切れ目を入れてみるとしましょう。アメリカでは60年代、70年代にインターディシプリナリーな研究の流行がありました。それが、今日、とりわけアメリカではマルチカルチュラリズムの流行があります。文系の研究領域では、シンプルに西欧的なカノンに絞って取り組むというようなことは、不可能でしょう。アフリカ文学、アジア文学などを読まないといけないのです。また男性作家、ヘテロセクシャルだけというわけにもいかないでしょうね。ゲイの作家や、レズビアンの物書きの著作もよまないといけない、ということです。そういったことの弊害は、作品の本来的な部分、内在的な部分よりも、政治的な側面ばかりが重視されてしまうということです。もちろんマイノリティや周縁的な人々が作り出したものを再発見すること、それ自体は素晴らしいことです。しかし、私が思うに、うーん、まぁそういうことが仮に政治的な問題として扱っているのでないといったとしても、少なくとも倫理的な問題として扱っているということにはなるでしょうね。そしてそこにはまた別の問題があります。
そういった傾向が、それに続く、ポスト・コロニアル研究とか、ジェンダー、クィア研究にもたらされたなら、私はそれらの領域は自律的な領域ではなくなると思います。自律した研究領域は、私が思うに、それ自体がほとんど主張すべきものがないのです。例えば日本文学研究において、日本における在日韓国人作家の存在を無視することはできないでしょう。在日韓国人作家をすべて排除して、日本の戦後文学を語るならば、何も言うことがないというと言い過ぎかもしれませんが、少なくともつまらない貧素なものになりますね。また女性作家の存在もそうでしょう。日本文学には非常に長い長い女性作家の歴史があります。つまり、私は補助的なマイノリティというような発想では考えない、ということです。そうではなく、マイノリティのようなものは既にここにあり、重要なことはそれをその中においてきちんと捉えるということなのです。新しい研究領域を作れば良いということではありません。私は決して反動的な話をしたいということはお分かりでしょう? 概ね、私はこういった類のマイノリティ運動を支持したいと思っているのです。しかし、私としてはこういう事柄を、何か新しい孤立した文学や哲学の研究領域を作ってその中でやる、というのではなくて伝統的な研究領域そのものの中にこういう傾向を位置付けて取り組むほうが良いだろうと考えているのです。
KW: 最近では批評家/編集者/仲介者というようなあなたのお仕事のほうが、京都大学の経済学者/助教授としてのお仕事よりも重要性を増しているということなのでしょうか?
AA: そうです、そういった仕事のほうが教育者としての仕事よりも重要だと思っています。実際、私たちは若い世代に論文を投稿するように強く求めようとしています。私たちは二〜三人、20代の非常に面白い研究者を見つけることができました。また私にとっては若い芸術家を支援することも、同様に重要なことだと考えています。
KW: あなたが、例えば新しい本を上梓するのを控えておられるのは(あなたの13年間、新しい著作を出していないわけですが)、あなた自身が日本の社会で作り上げてしまった自分の役回りに対する、戦略的なリアクションなのかどうか、そのあたりがどうなのかなと思っているのですが?
AA: そうではありませんよ。第一、私はとても怠け者なんです。働きたくない。そういうことですよ。でももちろん、わたし自身が消費社会やマス・メディアといったものから距離をとろうとしてきたということはあります。テレビに出演することも滅多にありませんし、主要な新聞に寄稿することもほとんどありません。実際のところ、これは決して十分に計算した戦略というよりも、むしろ自然発生的なリアクションという感じですね。まぁ何れにせよ、それがうまくいったというところでしょうか。
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このインタビューは今冬はじめに出るSpex Magazineに掲載予定である。
2015/09/29
Otaku Philosophy by McKenzie Warkを日本語にしてみたよ
もとネタはこちら。
http://www.publicseminar.org/2015/09/otaku-philosophy/
Otaku Philosophy
by McKenzie Wark — September 23, 2015
ニュースクール大学ソーシャルリサーチがやっているプロジェクト「パブリックセミナー」のサイトってことみたい。
今所属させてもらっているCFIのリーディングのネタ候補として、下読みも兼ねてザックリやってみました。
この文章は、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』と『一般意志2.0』が英訳されたということで、日本のニューアカと95年、オタク、消費社会といった話題がざっくりまとめて東の視点を位置付けることを意図しているみたい。議論そのものはある種の懐かしさもありつつ、またマッケンジー・ワークの「ベクトル階級」的な言葉遣いに『ハッカー宣言』の頃の懐かしさを覚えつつという感じもあります(そういえば当時、白田秀彰先生の書評経由で山形浩生氏の某残念な方とのアレやコレやもあったな、などということが頭をよぎりました)。ワークのSIと同じようなノリの文章や、東浩紀の一般意志2.0そのものへの疑問もありますが(そういえばビッグデータという観点は、最近読んだ林道郎氏の『死者とともに生きる』には相対主義の極北(というか突き抜け)としてのビッグデータ的世界≒思弁的唯物論という話がありましたが)、それは一回脇に置いておくとして、自分の問題設定の前提を共有するにはある程度使えるかなぁと。
こちらも例によってwebの海の賢人に間違いを修正していただきたく。
以下、本編デス
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オタク哲学 by マッケンジー・ワーク
80年代から私はたびたび東京を訪れるようになった。良いロケーションのアパートを利用することができたのだ。後にメディアの世界でパワフルになったある人——その名前をここで言及するにはためらいがあるのだが——、その人への感謝を記しておきたい。私のホストであった人がワーカホリックであったので、私は自由に過ごさせてもらえたのだった。
東京は、ヨーロッパの都市が<小さな町>という段階を超えて発展するよりも、ずっと前から現にメトロポリスであった。80年代、すでにそこには、他の地域では数十年後まで現れなかったような、あまねく広まったメディア文化が厚く覆いつくしていたのである。現代のメディア-都市ランドスケープはそこで生まれたのだ。私は、そこで何ができるのかということ——外国人の会社で、退屈した主婦に英語を教えることで生計をたてることができるとか、牛乳の中で裸でレスリングをすることで生計を立てることができるとか——を、言語を話すのではなく、街を歩くことで学ぶことができたのだった。
私が東京へ行こうと思ったのは、東京で制作活動をしていたPeter Callasのビデオアートに促されたからだ。それにChris Markerの『サンレス』というエッセイフィルムの影響も。しかしそこからポストモダンな、調停された都市東京のあれこれを読み解くのはなかなか難しいことだった。クラッシックな近代日本美術映画を見ることはできるし、良質な日本文学を読むことはできるけれど、外国の読者のために「日本の変形した日常生活が記録されたもの」はなかったのである。
浅田彰は1983年に『構造と力』という驚くべきベストセラーになった本を出していた。その本は日本の読者にフランスの現代思想を紹介し、そしてそれは日本で起きていることが何なのかを分析する道具となるものであった。彼の文章の一部はさまざまなヨーロッパの言語に翻訳され、前衛的な雑誌に掲載されたのである。
日本では、日本という国が自体が、まるで理論が没頭されるのと同じように日本のメディア文化が、スペキュタキュラーなサブカルチャー的スタイルに入っていくことで、それ以外のものに全てに没入していっている、そのように見受けられた。しかし残念ながら、西欧では日本の「ニューアカデミズム」についてはほとんど興味を持たれることがなかった。それは恥ずべきことだと思う。もし私たちが80年代に日本に注意を払っていたとしたら、その20年後、西欧で起こったことにこれほど驚くこともなかっただろう、と思うからだ。
ここまで述べてきたことは、日本のメディア文化や日本の思想についての私の愛好家的な興味を説明するものである。私が思うに、このような興味はもっと大きなグローバルな議論のなかに位置付けられるべきだと思う。幸運なことに、現在では幾人かの学者や翻訳家がこういった議論の促進の助けとなる文献を作ろうとしている(Mechamedia誌をご参照いただきたい)。残念ながら、日本はアメリカに先立って、大学における人文学の研究を廃止しようとしているので、もはやあまり時間はないのかもしれないが。
さて、このような気運は、私のもとに東浩紀の著作をもたらした。彼の二つの著作は英語で出版されている。1971年に生まれたこの著者は、浅田(1957年生まれ)や、柄谷行人(1941年生まれ)——彼の主著は現在翻訳中であるが——より若い世代である。東の著作が最初に脚光を浴びたのは、1993年、この二人の年長の理論家たちが編集するジャーナルにおいてであった。当時ニューアカデミズムは依然として大きな力をもっていた。
1998年、浅田は東を紹介するときに次のように述べている。「東の未来は、彼の「オタク哲学」が「哲学のオタク」というのとは全く違うことなのだと、証明するだろう」。この浅田の言葉を理解するには、少なくともいくつか説明しなければならないだろう。<オタク>は通常、強迫観念的な興味を持つ若い男性のことである。典型的なのはアニメや漫画への没頭だが、ときにはほかのもののオタクもいる。<オタク>というのは、80年代前半の日本における倫理観の錯乱の現象を意味するが、しかし、これはこの現象が日本に限定されているということを意味するわけではない。実際、今日では「理論オタク」はあらゆるところにいるし、理論を消費者したり、そのコレクションをブログ上でキュレーションしたりする人たちことは皆さんよくご存知であろう。
直接的な言及ではないけれど、浅田は的確にこのことの重要性を指摘している。オタク的に理論に没入することを、このような文化やコミュニケーションの状態に本質的な理論とともにあるメディアとしてとらえ、可能性の道として提案しているのである。浅田は私たちの議論の圏域には現れていたし、90年代に我々の幾人かが「bettime.org」のようなメーリングリスト上(あるいはその少し後では、blog theory)でネットクリティークをしようとしていたのだけれど、日本のなかで並行的に起こっている発展についてはよくわかっていなかったのである。
『オタク:日本のデータベース動物(動物化するポストモダン)』(ミネソタ 2009)は、2001年の東の著作の翻訳である。これは、アイロニカルな無関心さといったものが無く、ベタにポップなメディア宇宙に潜むという意味で、浅田のニューアカデミズムとは異なるものである。これは、メディアを理論に翻訳しようとしたというよりも、理論をメディアに翻訳したものである。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992)と同じように、また浅田が『Infantile Capitalism(幼稚化する資本主義)』寄せたエッセイと同じように、東の著作はアレクサンドル・コジェーヴの歴史に対するマルクス=ヘーゲル主義哲学の見地から出発する。そこは、フクヤマが自由な資本主義の勝利として「歴史の終わり」を寿ぐ場であったのだが、東はむしろそのような時代を喜んで生きる「最後の人間」に興味を持ったのである。
コジェーヴは脚注の中で「戦後アメリカというものは、実際のところ、マルクス主義者とソビエト両者の思想が長きにわたって期待していたものの、ある種の終着点である」と述べている。あらゆる基本的な欲求性や欠如は瞬時に満たされ、そこには欲望するものも、奮闘すべきものもない。「歴史の終わり」において、欲望は排除され、人間は動物状態へと格下げされる。そこでは、人間にとって、もはや欲望とは自然を拒否し、歴史を作る、というようなものではないのである。
例外は戦後日本である。そこでは、支配階級は武装を諦め、欲望をある形式として——しかし物質への欲望ではないかたちで——生かすような純粋にセレモニー的な、儀式的な文化に自らを捧げたのである。コジェーヴは、戦後の日本は軍国主義の期間を、このようなスノビッシュな実践を取り戻すことで克服したのだと考えたのである。スノッブは欲望を維持するし、しかし、(自然的な)「世界」を否定するということを通して、「人間であること」の可能性は手放していないのだ、と。しかしながら、そこで拒否される「世界」は、もはや自然的なものではないし、それゆえその結果も決して歴史的な営為となることはないのである。
東はこういった話——フクヤマの有名な著作でよく知られているような話——に、ひねりを加えようとする。彼は「需要を瞬く間に満たすという消費文化にあるということによって、日本文化は完全に<アメリカ的>になったののだ」述べるのである。80年代、90年代のオタク文化は、そういった流れが至る最果ての島なのだ。オタクを病理的に考えるのでは無く、むしろディック・ヘブディッジがイギリスのサブカルチャーを論じた時のように、東はオタクを現代的な美学の実践として扱うのである。
オタクのサブカルチャーは三つの段階を踏んだ。最初の波は、60年代に生まれた人々である。その時期、彼らを熱狂させて象徴的なメディアはテレビアニメ<機動戦士ガンダム>(1979)であり、またB級の怪獣映画やSF映画であった。第二の段階は、東のように、1970年代に生まれ、<メガゾーン23>(1985)を見た世代である。そして第三は1980年代頃に生まれた人たちである。彼らにとって象徴的な作品とはテレビアニメ<新世紀エヴァンゲリオン>(1995)であり、また同時にミステリーやファミコン・ゲームもあった。
ある人たちは——例えば有名な<スーパーフラット>の芸術家である村上隆などは——、オタクは江戸時代の木版画芸術につながるものとして考えている。その浮世絵には派生作品への独特のアプローチの仕方があり、アーティストがモチーフを互いにリサイクルしたりするから、おそらくそのように考えているのだろう。しかし、東にとっては、オタクとは国家を超えるポストモダニズムが生み出したものなのである。
その起源は、戦後アメリカから輸入された文化形式にある。「オタク文化の歴史はある種の適応の歴史である——いかにアメリカ文化に順応するかという適応(……)オタクは江戸文化の良き後継者であるが、しかしオタクと江戸文化は連続的な線としてつながるわけではない。オタクと日本の間には、アメリカが横たわっているのである」
カギとなる例はアニメーションだ。それは戦後、技術としてアメリカから借用してきたものである。その技術の一部はディズニーやルーニー・チューンズのキャラクターアニメーションによって発展したもので、それが宮崎駿の傑作に結実したようなものなのだ。またほかの技術には、リミテッド・アニメーションによって発展したもので、それは章立ての方法論がテレビの小規模予算に適するようにしたものだ。古典的な初期の例で言えば、手塚治虫の<鉄腕アトム>であり、あるいは私自身も少年であったが好んでいた<遊星少年パピイ>である。
米国ではキャラクターアニメーションがかなり高いレベルまで発展していたが、その一方、日本ではリミテッドアニメーションがある種の芸術形式のようになっていったのであった。例えばそれは<機動戦士ガンダム>の独特さである。テレビ番組はアメリカ的なモデルと並行していたわけではないのだ。しかし、東にとっては日本文化形式の純粋さゆえなのではなく、ハイブリッドになったことの証左なのである。
戦後日本の文化は、<日本性>というものに取り憑かれてきた。なぜなら、コミュニティを喪失したからである。「オタク文化の礎に潜んでいるものとは、<偽の日本>を作ろうという複雑な切望である」。このような切望は80年代に不可思議な方向転換を見せ、「ニューアカデミズム」の旗印のもと、世界的にも稀に見るポストモダン哲学の日本における大流行ということの原因となった。日本は一度もちゃんとした近代社会を実現しなかったのであり、それゆえにポストモダン文化の「ジャンプスタート」を手にしたのだ、という観点である。「近代性が西欧を生み出した一方、ポストモダン性が日本を生み出したのである」。
私自身よく覚えているが、80年代には日本文化が自信をもっているということへのある種の魅力があった。しかしある種の無理解も同時にあったのである。東が述べるように、意味のよくわからないコジェーヴの脚注を褒め称え、素敵なかたちに変形させたのだ。「これいじょうに、日本のポストモダン主義者の欲望のリアリティをよく説明するものはない」。それはまだ新しい過去を忘れることであり、少なくとも経済的なバブルが始めるまでは現在と未来を寿ぐ、というものだったのだ。
石黒昇のアニメ<メガゾーン23>(1985)の中では、1980年代東京が未来の宇宙船においてコンピューターによってシミュレートされた世界だったと判明する。東は次のように述べる。「1980年代の日本は完全なる虚構であった。それは虚構であるけれども、継続するものでもあり、そしてそこに住むのは快適なものであった」。経済的なバブルがはじけるまでは、少なくとも。とはいえ、オタクはシミュレートされたものであり、CGI的日本は続くのである。
シミュレートするのに好ましい世界——あるいはサイエンス・フィクションの日本、ないし江戸時代の日本——は、まるで明治維新(1868)や占領(1945)が起きなかったかのようである。東はシミュレーションというものを「順番として<公式な>製品があって、そしてそこから引用される」という意味で、デトゥルヌマンの実践やファンによる派生作品の制作行為に結びつけて考えるのである。「オタク文化が生み出すものは、無限の模倣と海賊コピーという連鎖の中に産み落とされる」。従って、模造品(シミュラークル)は、歴史的時間とオリジナル作品の著者のどちらからも切り離されて漂うのである。
東はオタクの文化的実践を、ジャン=フランソワ・リオタールが「大きな物語の終焉」と呼んだもの(それはつまりジョディ・ディーンやあるいは他のラカニアンが呼ぶところの「象徴界の終焉」と関係しないことはないと思われるような概念である)へのレスポンスなのだとみなす。リオタールの述べるところによれば、そこには「信仰」が失われるという事態があるのだが、その失われる「信仰」とは、マルクス主義者の形式にみられる「歴史的時間という物語の中にある」信仰でもあるが、しかし、同時に自由主義的=資本主義者の合理性、技術、平和的貿易、消費の努力などに結びつく「発展という大きな物語」にも結びつくものなのである。
東にとって、この「大きな物語の終焉」は父権的・国家的権威の威信の喪失とつながっているのだ。そこには規範たる大きな物語も、認めたれた語り手もいない。深作欣二の映画<バトルロワイヤル>(2000)では、国家はやっかいな高校の生徒たちに殺し合いをさせるが、それはこの喪失を象徴しているかのようだ。
オタクは自分自身はオタクなのだと自ら言及するが、この言葉は居場所や家族という概念と関わりがある。ひょっとすると「ダチ(homeboy)」というような言葉に近いのかもしれない。彼らは雑誌やアニメやフィギュアの秘蔵コレクションをもって、生きていくための心の鎧を作るのだ。東は言う「私たちは、オタクが下らないサブカルチャーを材料にして「自分自身の殻」を神経症的に作り上げることを、大きな物語を喪失した空洞を埋めようとする振る舞いのパターンなのだとみなすことができる」。
そして、続けて東はこのように問うのである。「どのような文化がシミュラークルから生み出されるだろうか? そしてそれはどのような「人間」、あるいは、どのようなポスト人間の生のためのものになるのだろうか?」。東の観点の興味深いところは「大きな物語の終焉」がシミュラークルに道を譲るのではなく、また流れを読み解くことでも、あるいは終わりなき言語ゲームでも、ブラックパロディーでもなく、要するにポストモダンのバリエーションのようなコードの言葉に道を譲るものではないということだ。むしろ「ある一つのテクスト」、あるいは「個人の作品」というスクリーンの<背後>にある大きな物語を置き換えるのは、不可視の大きな物語などではなく、《データベース》だということである。
オタクは、ステージ上で「大きな物語」を葬り去る。オタク第一世代は「戦後の発展」という公式の物語を虚構的なものに置き換える。第二世代は、様々な(アニメなどの)作品世界が存する別の宇宙の詳細な説明をより重視する。そして第三世代によって、《データベース》そのものが、固有の文化的産物の背後にある組織的な原理として現れ出てくるのである。
このような事態のカギとなるのは「キャラ萌え」の出現である。「萌え」とは、キャラクターの特定の部分的なポイントへの感情的高まりのアピールを意味する。この後はおそらく芽吹くとか花開くという「萌える」という意味からきたのだろう。第一世代の<機動戦士ガンダム>のファンが、その様々なアニメシリーズや瑣末なそれにまつわる製品の根底に横たわる世界観の統一性を強く主張するのに対し、東は<新世紀エヴァンゲリオン>以降は事情が変わってきたと東は考える。<新世紀エヴァンゲリオン>のファンは、ヒロインである綾波レイのエロティックな絵を描くことに熱中しているようなのだ。
<エヴァ>はそれほどオリジナルな作品というわけではなく、それ自身がすでにポピュラーなアニメ的要素のコピー、すなわち「物語なき情報の集合」、もしくは「大きな非物語」である。このような事態は、部分的には産業的な変化によるものでもある。90年代から(オタク関連の)製品はそれ以外の沢山のものを生み出すようになったのである——例えば、それはステッカーのシリーズだったり、会社のロゴがマンガやテレビ、アニメ、ゲーム等々のシリーズとして結実したりしたのである。今や、「物語はただの余剰な物品にすぎない」。
あるレベルのファンの熱視線は、キャラクターに割り当てられた<萌え要素>——例えばアホ毛、猫耳、メガネ、メイド服、或いは感情の起伏のなさ(これはエヴァンゲリオンの綾波レイによって人気になった)といったもの——に注がれる。そこには「tinami.com」というウェブサイトさえ存在していて、そのサイトでは、各人が<萌え要素>によって分類されたキャラクターを好みに応じて検索することができるのだ。キャラクターは極端な<萌え要素>をもって現れるようになった——鈴、猫耳、アンテナのような髪の毛、全て同じキャラクターにてんこ盛りである。人々の注視する先が、物語や作品世界のつくりから、キャラクターの作りへと移り、キャラクターはあらゆる製品の文脈に物語や世界観に関わらず自立して現れることができるようになっていったのである。
ある人は「過去への参照がある」として東の主張に反論する人もいるかもしれない。例えば<エヴァンゲリオン>では、綾波レイというキャラクターや、またその他のキャラクターも、第二次世界大戦の日本海軍の船から名前がとられている。それゆえ、このような比喩性はもしかしたら、まだ我々と共にあるではないか、と。しかしながら、この批判の苦しいところのひとつは、「古いものを反転させたという以上に、何か新しいものが現れているのか、あるいは、最悪、下役の同一性がただ現れているという意味で、単に新しさを消去されているにすぎないのか」ということを、突き止められるかといういうところにある。従って、私が思うにそれの価値は、東の思考の連なりがどこへ至るのか、思弁的に追及していくのではないだろうか。
東はそこに、ある種の新しい二重の表現、データベースとシミュラークルの二重の表現があると考えている。後者のシミュラークルの方は自由に浮遊するわけではなく、データベースに制約されたものであり、そしてここによくあるポストモダン的な理論との違いが有る。多くのポストモダン的な理論は、伝統的な文化的構造を失うことが、何か野生的でアナーキーなものを導き出すとは考えていないのである。シミュラークルとデータベースの間の緊張関係は、大きな物語と寓意的な細部との対立にとって代わるのであり、従って世界は(例えば)トスカーノとキンクルがジェイムソンを引き継ぎ、取り組んでいるような『真理の地図学』的な形でマッピングされ認識されるようなものではない、ということである。
むしろ、ここに私たちはアレックス・ギャロウェイの「シミュレーションとしてのインタフェース」という概念の近さを見るだろう。「模造品というものは、オリジナルからの距離によって判断されるのではなく、データベースとの距離によって判断されるのだ」。このような考え方は、ヴァルダー・ベンヤミンの複製とオリジナルとの対比が、もはや何の足がかりにもならないということにも見られる。「オタク文化の表面、外殻はシミュラークル、或いは派生作品で覆われている。しかし、その深い内側の層には、キャラクターのセッティングというデータベースが横たわっており、そしてさらにその奥には<萌え要素>のデータベースが横たわっているのである」。
失われたものは、世界を貫く物語や映画的なパッサージュである(そのような喪失は、パゾリーニについての自由で間接的な言説の理論と実践にも見られるものである)むしろそこにあるのは、サーチエンジンやインターフェースによるデータベースとシミュラークルとの調停という事態であり、それはオタク文化の初期段階において直感的でしかなかった「個別の作品の背後にはデータベースがある」ということを、実際的にかなえてしまったというわけだ。
「これは組織だった文化である」という考え方こそがカギである。「この社会全体を満たすシミュレーションは、カオス的な流行によって広まっていったことなどない(……)シミュレーションの効果的な機能は、なによりもデータベースのレベルによって根拠付けられたものなのだ」。<作者>はもはや複製品の製作者でさえないのだ。というか、作者のクリエイディブな取り組みなどというものは、もはや<萌え要素>の組み替えでしかないのである。
このような、かつて<大きな物語>を与えてくれていた「作品の背後の不可視な深み」のようなものが消去されることで、生起するのは——それは<作者>のみならず、人間全体に生起するのは——それはマルクス主義者の全体性の形式であろうか、あるいは合理主義という教義の完遂だろうか、それともポスト産業的発展であろうか?
このような問いに対して、ここで東はコジェーヴの話に戻る。人間は<人間>ではなく、ただの<動物>である。私たちを<人間>たらしめているものは、自然に抗い、私たち自身を<自然>的でないものにしていこうとする苦闘である。歴史とは、自然状態や<人間>がただの<動物的な生>へと堕してしまうのに、抗ってきた歴史である。東はコジェーヴの階級の話、すなわち「主人は脅しをつきつけて、他の人を屈服させる」という話には言及していない。コジェーヴの話では、主人だけが<人間>として存在し、召使いを自然や動物の次元に格下げして扱っている。奴隷は主人の必要とすることを満たすが、しかし主人もまた「奴隷に命令する」という他者の欲望を欲望してしまっている。東の論の中で欠落しているコジェーヴの論については、後で再び見ることにしよう。
とにかくコジェーヴにとって、戦後の近代における問題とは、産業的な生産が<動物>的な需要を完璧に瞬時に満たすということであり、それゆえそれは<自然>に抗い、また動物的な人間のあり方そのものに抗うことを通して歴史を作り出すという欲望や行為の土台を与えていた、人間の苦闘というものを消し去ってしまったということである。コジェーヴは旅行者視線で日本を見て、日本のスノッブな文化は何か異なる方途を見出したと思ったようだ。スノッブは、純粋に形式しかない欲望のゲームを生み出す。日本の切腹や儀式的な自殺というのは、つまりスノッブとは、コジェーヴにとっては<人間的名誉>と<動物的本能>とを区別する象徴だったのである。
文化的なクリシェはさておき、ひょっとするとオタクというのは、<動物>の形式的・人工的な構築物として、スノッブという形式の構造に回帰していこうとする存在なのではないだろうか。オタクは自分たちが扱っているものがシミュラークルでしかないことを知っているのに、それでもデータベースから抽出されただけの<萌え要素>がリアルな感情を引き起こしている。このようなシミュラークルが瞬時に情動的必要性を満足させ、<自然>的なものへ抗い、それを手に入れようという欲望が形となることを妨げてしまう。ポスト歴史的人間、あるいはポスト人間的動物、このような存在は内容から形式を分離し、そしてもはや内容の変化など求めず、ただ形式だけの変化、シミュラークルの変化だけを求めるのである。
東は戦後文化を3つの段階に分ける。理想の時代(1945-70)、虚構の時代(1970-95)、そして動物の時代(1995以降)である。東は、ジジェクやスローターダイクによって主題歌された「<大きな物語>へのシニカルな関わり」というものを、あるいはコジェーブの日本における崇拝者の話に出てくるスノッブというようなものを、「虚構の時代」に属するものに過ぎないとみなす。オタクの第三段階においては、もはや大きな物語への消極的関係性を維持する必要はない。彼らはデータベースを用いて、サクっと用を足してしまうのである。従って、オタクにとっては近代の崩壊は完成しているのである。仮に、もしこれがある種の「加速」的な事柄であるならば、それは「近代の加速」なのではなく、何か別ものもの、あるいは別のものとしての「加速」なのっである。
さて、東の論で興味深いのは、オタク達にはエロティックな作品が刺激的に作用する一方で、そのようなエロティックなものは感情的なものに付随するに過ぎないものだとされることである。例えば「(エロゲー制作会社である)キーが制作したゲームは、購入者に性的充足を提供するのではなく、オタクの間で人気の<萌え要素>の組み合わせを通じて、オタクたちが効率よく涙を流し、また<萌え>を感じるための、理想的な手段を提供するようにデザインされている」のである。
そうはいうものの、まだ感情的な結末を提供してくれる物語の小さな断片と、奥に横たわるデータベースを理解しようという興味との間にあるオタク達の欲求の中に、少しばかりの緊張や不安はあるようだ。あるオタクは、まだハッカー的なアプローチをしていて、ソフトからコンテンツファイルを抽出し、ゲームやその他の材料から直接的に派生作品を作ろうとしている。
オタクの欲求は満たされる一方で、欲望——コジェーヴにとっての他者の欲望としての欲望は満たされることはない。さて、ここに我々はベルナール・スティグレールが「主体化のショート」と呼ぶものと類似したものを見るだろう。東にとっては、これはまた、しばしば見られるオタクの保守的な性的指向と、オタクの高度にフェティッシュとは少し違う好みとの乖離を説明するものでもある。後者は残留している愛やセックスや欲望から切り離した上で、能率的に性器の欲求とするところを満たすものに過ぎない。
東は「オタクの振る舞いはフェティッシュ的だ」という考えを少し変えて、これはもう少し詳細に検討すべきトッピックだと考えている。今日、ローラ・マルヴェイによって広く知られている古典的なフロイドのスクリーン理論では、男性の視線は見るということの窃視症的な欲望に参入しするが、しかしそれは女性のイメージの去勢的な力によって脅かされる、とされている。このようなおそれを取り込んでしまう戦略の一つが、フェティシズムである。というのも、そこでは女性の身体はフェティッシュな部分への切り詰められていてそのようなおそれがなくなっているからだ。おそらく東は二次的な発展の議論をしているのだろう。女性の身体という恐ろしいイメージを部分へと切り詰めておくことで、女性の身体をデータベースの外に意のままに<萌え要素>のアンサンブルとして再構築することができるになるからだ。映画<エクスマキナ>( 2015)は今のところ、このような主題の極北と言えるかもしれない。
かつての<大きな物語>や寓意的な断章というもののモデルは、「ある作品の一部としての断章は、大きな歴史的な時間の一片の欠片として読むことができる」というような解釈学的な手続きには向いている。しかし、ひょっとすると新しいモデルは、もはや深さを持ったモデルではないのかもしれない。東はこれをハイパーフラット性と呼ぶ。東は、レフ・マノヴィッチの「広範化されたメタ・メディアとしてのソフトウェア」という主張に先行しているのである。東にとっては、そこに視点の統制があるだけなのだ。様々なデータを様々な方法で眺めることはできるが、しかしそこにはデータベース以外には、そのデータがどこからやって来たのかというような根底にある統一的な真理に対して断片を通して読み解いていくという方途などないのである。
オタクの「読み」というものは横滑りしていくばかりで、まるでデータベースをある視点から見て、また異なる視点から見て、と移ろっていくだけのようである。「この種のあらゆる情報(データ)は並列的に、同等のものとして、あたかも異なる<(コンピュータの)ウインドウ>を開くかのごとく消費される」。それゆえ、今日のグラフィカル・ユーザ・インターフェースは単に便利な発明というだけではなく、私たちが生きる現代の世界のイメージがキュっと閉じ込められた驚くべき装置なのである。そこにはスクリーン上に現れ出たものからデータベースへと遡行する方法など存在せず、他方内容を表象する断片という方法もないのである。
後の著作で、東はデータベースの政治的影響について考察している。『一般意志2.0:ルソー、フロイト、グーグル』(Vertical Books, 2014)は、政治的制度への信頼が失われた後の状況について書かれたものである。この著作はそれ自体がデトゥルヌマンやシミュラークルというような派生的な作品であり、ここではコジェーヴではなくルソーの『社会契約論』が扱われている。
ルソーの思想から、東は「一般意志」、あるいは国民主権という概念を取り出す。ルソーにとってこれは架空の構造である。「彼はおそらく、決して、これ(国民主権)がいつの日か達成され「一般意志」の手触りが感じられるようになる、などということを夢見たりはしなかっただろう」。政治理論において、政府の非-審議的形式によって抑圧されてしまった欲望が症状として現れ出たようなものである。今やそれは、情報を具現化させるための技術としての、情報の使用の潜在的起源である。
ルソーの考えでは、社会契約が社会を作り、社会性を統治する権力を持つのは一般意志である。そこに、はじめて社会的なるものが現れるのであり、そしてそれに引き続いて政府が現れるのだ。そこに統治権と政府との違いがある。後者は単に一般意志のための道具である。この意味で、社会契約という考え方はあらゆる既存の政府体制を合法と認めないし、むしろ政府が一般意志に対して失敗を犯す時に革命が起きることの可能性を合法と認めるのである。
「一般意志」とは理念的なものであり、もしかしたら<大きな物語>の一部のようなものかもしれないが、それは実際の政府の腐敗への鋭い批判となる手掛かりなのかもしれない。しかしルソーにとっての一般意志とは、大衆の意見というものではない。
大衆の意見は時に間違うが、しかし一般意志は決して間違わないというのである。大衆の意見というものが、単に個別的関心の多種多様なごたまぜである一方、一般意志とはあまねく共有された関心事のことである。大衆の意見は様々な意志の合計であるが、一般意志は意志の<差異>の合計なのだ。
東は理解を助けるアナロジーを提供している。大衆の意見は「量」であり、一般意志は「ベクトル」である。大衆の意見は集まったものの平均であるが、一般意志はそれぞれの速度の間の差異の合計である。ルソーはしばしば、あたかも一般意志が演算可能な、数学的存在であるかのように書いている。集合知の世紀が存在するずっと前から、彼はそれを仮定していたかのようである。
ルソーという思想家は、民主的統治の理論家にとっては悩みの種であった。というのも、大衆の意見だけでなく、政党や代表制民主主義に対してもルソーは反感を持っていたからである。一般意志は市民が互いに話し合うというようなところに生じるようなものではまったくない。「一般意志は、差異を相殺する個別の意志を肯定する集団の構成員による手続きによって生み出されるのではなく、多様な意志が公共の場に現れることを認めるなかにこそ生まれるのだ、というルソーの思想は互いの差異を維持するのである」。一般意志とはその意味で、すべての差異の合計なのである。
実際の行政、およびそれによって判断を受けるものの根底にある隠れた理念的モデルは、コミュニケーションなしの政治、というものである。一般意志は、事物の秩序に属するのであり、社会的な世界に属するのではない。これは社会によって作り出された政治ではなく、<自然>に順応しようとする政治なのだ(そしてこの意味においてコジェーヴとは違うのである)。オタクと同様に、ルソーは公共の生活からの孤独を好む。ルソー(あるいはそれに後に続くフィーリエ)にとっては、文化的発展を伴う市民化(文明化)こそが諸悪の根源なのである。
東は、ハンナ・アーレントやユルゲン・ハーバーマスに見られる熟議的な民主主義という標準的なモデルの価値に対して懐疑的である。このような学派の思想は、労働から切り離された「公共の場」という場所が、熟議のための合理的なコミュニケーションの条件だとしている。このような場は単なる必要性や欲望が集まる場なのではなくて、理性的な熟議を通して市民が変化する場なのだと彼らは言うのである。
しかし東は、熟議民主主義からも、またそれとは非常に異なる政治的なアイディアからも、どちらからも距離をとってアプローチする。非常に異なるアイディアというのは、カール・シュミットの政治概念であり、その政治概念とは「友と敵の区別を作り、敵の存在そのもの撲滅を目指す=政治」という概念である。一般意志は熟議するのでもなく、友と敵を区別するのでもない。ひょっとすると、これは政治における非常に興味深い領域、そこには常に非-友人であり、非-敵である存在がいるという興味深い領域なのかもしれない。
さて、もし一般意志というものが、熟議民主主義でも、また死をかけた戦いでもないのだとしたら、それは何なのだろうか? ルソーにとってこれは統制的な理想なのだが、しかし東にとっては急速に現出しつつあるある種のリアリティーとしての「データベース」なのである。ユビキタス・コンピューティングが無意識的な欲求のパターンを環境から直接的に抽出する——すなわちビッグデータから——。そこには市民による意識的な参加も、あるいはこういうべきだろうか、つまり「ユーザー」の意識的な参加もない。一般性というものは具体化されるが、しかしそれは国によって代表されるのではなく、民間のレベルに下りてくる——それこそがグーグルである。「だれもグーグルにたいして意識しないけれど、しかし皆グーグルに奉仕している——この矛盾こそが、ここでは重要なことなのだ」
このようにいうと、即座にこの問題を、正義を欠いた、監視社会や生権力、あるいは新自由主義の問題として主題化される人もいるだろう。しかし東のアプローチは、少なくともこのような議論に対して新しいものだとは言えると思う。東のアプローチは、オタクは何かに気づいていたというものだ——すなわち、引き込まれるような<萌え要素>の魅力の根底には、データベースの無意識があるのだということに、気づいていたということだ。人々は、人間ではなくモノになってしまいたいのだ。「ルソー(……)は、一般意志が市民の心には刻み込まれていると述べていた。したがって、それは知覚されるようなものではない。その一方で、一般意志2.0は情報環境の中に刻み込まれているのである」
しかし、一般意志1.0(ルソー)が神話的な大きな物語であったのに対して、一般意志2.0は実際のデータベースである。「今までのところ、一般意志2.0にアクセスすることは、私的企業に独占的なことであった」。しかしながら、この点について東はじっくりと議論してはいない。私自身の概念的な言葉をここに置くとすれば、少し東の考えがすっきりするかもしれない。つまり、データベースから抽出される政府の力とは支配階級の、すなわちベクトル階級の人々の手にあるのである。
しかしながら、東は自身のアプローチおいて、ティム・オライリーとか、あるいはその他のシリコンバレーの技術産業の支援者のようなベクトルクラスから距離を取っている。ある程度まで、彼のデータベース的一般意志は統制的理念であり、確かに<大きな物語>的でもある。それは実際性というよりは、どちらかといえば潜在的可能性、つまりもはやそれそのものとして機能しない熟議民主主義を補うものなのである。東の視点においては、政治はすべての市民によって熟議するには複雑になりすぎたのである。しかし、ひょっとすると欲求のデータベースがその助けになるのかもしれないし、それが合理的な熟議と「無意識に導かれる統治機構」とを接合することを可能ならしめるかもしれない、と。
さて、ひとつ起きるかもしれないこととしては、いまだ「政治」が何か申請で超越的だと考えている知識人による揺り戻しがあるだろう。しかし、もはやよく知られている通り、先進(し過ぎた)国において政治はより悪化しているのは明らなところだ。それは私たち人間を、個別の同情心や努力などをカッコに入れて、普遍性を優先するために根拠を用いるというようなことがうまくできない動物のような存在に変えてしまった。根拠は感情移入に勝つことはできないし、普遍性も個別事情性には勝てず、コミュニケーションも個人的興味には勝てないのだ。
コミュニケーションは普遍性ではなく、ネットワークを導き出す。それは島のような世界を作り出し、エコーが響き渡る部屋を作り出す——それは今日インターネットを使う人ならば誰しもわかるだろう。今日、人々がメディア技術から得ようとしているものは、情報の複雑さを縮減することであって、終わりのない熟議ではない。「荒らし」以外誰もコメントも書かず、読みもしない、そんななかでどうやって熟議的民主主義を「荒らし」なしでやろうというのだろう?
もしかしたら、私たちにはすっかり新しい政治の制度設計が必要なのかもしれない。無意識的な欲求や欲望を視覚化する方法があるのだ。この種の展開は、しばしばユートピア的なフィクションにおいて、例えばバグダノフの『レッドスター』やヴァネーゲム(SI)の『Voyage to Oarystis』みられるものだ。しかしまたそれは、Zampatinの『We』のようなディストピアにも見られるようなものでもある。
もし精神分析が主体自身も知らない個人的無意識をさらけ出させる方法ならば、データベースとは人々が知らない集合的無意識をさらけ出させる方法なのだ。そして、夢分析と同じように、そこには葛藤はない。例えばグーグルのページランクを見てみよう——それはあるウェブページへのリンクを評価しているだけで、そのページを評価しているわけではない。したがって、もしあなたがグーグルで「センシティブ」な語、例えば「ユダヤ主義」という語を検索すれば、トップのほうでヒットするものは「アンチユダヤ的」な罵詈雑言である。そしてまたそのサイトを攻撃するためにリンクする「アンチ-アンチユダヤ的」サイトもまた、トップあたりにヒットするということもあり得る。
しかしながら、ひょっとするとそこには少し失われたものがあるかもしれない。誰がそのデータベースを所有し管理するのか? もしあの古き<大きな物語>が上部構造の産物だったのであれば、かつてパゾリーニが気づいていたように、新しい文化的支配の力の形式は直接的なインフラストラクチャーなのかもしれない。私が「ベクトル階級」と呼ぶ、一般意志の検出という意味を担うものは、最後は社会的無意識となって終わりを迎えるのである。彼らはそれを主としてシミュラークルによって私たちの動物的欲求に対価を与えるために用いるのである。Lazaratoがすでに述べているように、今日の我々人間という種における情念的な生というものは、ある種の機械的なものへの隷属としてあるのである。
たとえそれがデータベースから選び出したものだとしても、依然、そこには東の著作を読む喜びはある。彼は、他の多くの人よりも早く、理論の物質的基盤である「書くこと」や「読むこと」がそれ自身変化し、データベースの一部になるであろうことに気づいているように見える。オタクの実践のように見える彼の著作は、それがアニメについてであろうと、哲学についてであろうと、斜めに横切りつつシミュラークルを通り抜けていくのである。
2015/09/03
根源的技術性とグラマティゼーション(試訳)
元はJohn Tinnell氏のコレ(http://jtinnell.blogspot.com.au/2012/06/originary-technicity-and-grammatization.html)
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根源的技術性とグラマティゼーション: スティグレールの企図における二本の柱
By John Tinnell
根源的技術性というスティグレールの理論は、人間というものが技術と不可分であることを主張している。デリダの代補の論理を追いながら、スティグレールは時間、記憶、経済のモード、そして政治的組織――そして人間の脳そのものも――その全てが、組織された無機的物質の技術的進化との結合から構成されるのだと論じる。それはつまり、人間が人間として「ある/いる」ということは、本質的に、技術が可能にする条件に対して、偶然的で、つねに借りを負っている状態、あるいはその戯れとして「ある/いる」ということを意味している。
このような概念は、もちろん人文学と科学、また、あまねくポピュラー文化全般との接触を高めるものである。キャサリン・ヘイルズの最新の研究は「テクノジェネシス」というコンセプト――人間とテクノロジーの共-進化という想定――に多くを負っているし、またケビン・ケリーの新しい書籍『テクノロジーは何を欲するか』は、スティグレールの思考の基本的原理である「一般的な技術システム(ケリーはこれをテクニウムと呼ぶ)は、技術革新や社会的慣習を押しのけて、自らの繁栄の論理に役に立つ方向に向けて進む」という考えを敷衍するものだ。
世界の中の現役の技術進化における全ての技術やその流れにおいて、スティグレールは書くこととコミュニケーションのテクノロジーを特別注目して扱っている。彼は「グラマティゼーション」という言葉の下に、このようなテクノロジーを参照している。スティグレールにとって「歴史」とは、もっとも「代補の歴史」として特徴付けられる傾向のあるものだ。グラマティゼーションとは、「ある流れを持ったものを、切り分けられた要素への分解する」ということを含むものなのだ――例えばアルファベットで 書くことは、話すことの流れを、一方で「繰り返し可能」でモジュール化されることができ、また他方で正書法的に安定することができる、という「認識できる文字の有限的なシステム」へと切り分ける。
歴史――代補の歴史――は、従って、文字文化以前の古代における「書くこと」から今日のデジタル化へと至る一般的な発展のコースを基礎づける、段階的発展におけるグラマトロジーの基礎というものの上に描き出される、ということになる。与えられた歴史の瞬間において生起してくる存在、あるいは社会の再構成というものを理解するために、スティグレールは私たちの経験というものの重要な側面を形作る、構成要素的的な力としてのグラマティゼーションの役割――これまでは、私たちの経験の生成は、自然や超越論的でアプリオリな、要するに技術の物質的性質からは決して影響を受けないものから成ると考えられがちだったけれど――を目立たせるものとして維持するのである。
ここに再び、スティグレールの企図が、私たちが「グラマトロジー」と呼ぶより大きな理論と共鳴するのである。まさに、彼の思索は、1960年代から1980年代にかけて、グラマトロジーに関わる思想家が連綿と続けてきたことの、中心的課題を効果的にリバイバルするものであるのだ。「書くこと」の古典主義者や歴史学者(Goody、Havelock、Harrisなど)、テル・ケルで連帯していたフランスの哲学者や文学者(デリダ、バルト、シクスーなど)、そして北アメリカのメディア理論家(Ong、マクルーハン、ウルマーなど)。リバイバルしつつ、こういった文章を書き上げる中で、スティグレールは何をそこに貢献しようとしたのだろうか? どのようなことを研究課題に加えようとしたのか? そのフィールドの追求の真髄において、どのような彼の概念が取り上げられるのだろうか?
スティグレールの仕事を取り上げること――その洞察や、またその未解決の主張を取り上げることは、グラマトロジーと今日の技術研究とを結びつけること、すなわち「書くこと」の歴史と理論を、現在進行中のデジタル・ネットワーク・メディアの衝撃のど真ん中の、まさにその根底に横たわるある種の変化を記述せんとする思弁的な努力のなかに集結させることを意味するのである。
もし「デジタル化」というものが代補の歴史において、現在の段階を特徴的に記すものであるのならば、昨今のユビキタスでデジタル・フィジカルなインターフェースの進展は、確かに我々の時代とこの先に予測される未来において、もっとも重要なグラマティゼーションのプロセスであるということになるだろう。しばしば言及されるコンピューターの第三次的進化の波――メインフレームや文房具的PCの後に、モバイルで、ウェアラブルで埋め込み可能なユビキタス・コンピューティングシステム。ソフトウェアはエブリウェア。インターネットは日常のあらゆる場に浸透し、デスクトップ、ラップトップ、電源、WiFiホットスポットを超えて、物体や空間を突き抜けるように広がる。身体的、物質的現実はデジタルネットワークに接続され、あるいは拡張化される。ビットも世界は原始の世界にこれまで以上に融合するようになる。(レフ・マノヴィッチ2006年の素晴らしいエッセイにおいて、この軌道を研究し、メディア理論や文化施設におけるその重要性を主張している。 『拡張空間の詩学』http://www.alice.id.tue.nl/references/manovich-2006.pdf)
デジタル・フィジカルなグラマティゼーションは、実体的な空間、存在物、出来事といった要素を連結したままで、デジタル的な流れを分節化する。
スティグレールの仕事に対する幾つか強調しつつ、現代におけるデジタル・フィジカルなグラマティゼーションを理論化するために、どういったことがカギとなる入り口になるのだろうか? スティグレールの言い方を借りれば、どのような「歴史の理解力の形」が、今日の技術発展の瞬間に適したものなのだろうか? このデジタル化の段階の瞬間を、私たちは「ユビキタス・インターフェース」と呼べるかもしれない。
*技術とグラマティゼーションの間の相互作用についての補足説明:技術はテクノロジーだけを意味しているのではない。それは、ギリシャ後のテクネーが指し示すようなテクニックの領域も含んでいる。グラマティゼーションは、テクノロジーとテクニックを共に考えることの必要性を説明する。ある連続的な流れを分節化するということを伴うグラマティゼーションのプロセスは、身振りや痕跡を共同体から切り離し、技術の中への差し向ける。そしてグラマティゼーションは、書くこと、またコミュニケーションのテクノロジーと――しかしまた、様々な他のかたちで――共に発生する。
スティグレールがよく用いる例示のひとつが、産業革命における機械である。この産業革命は人間の腕の動き――ジェスチャーする腕、そしてその腕の力は自立して、近代の工場に見られるような様々なものの生産を繰り返すことができる――を分節化した。その結果として、人間の労働者は、彼/彼女が自身の運動によって道具を使うようなクラフトマンとして働く以上に、産業機械の操作を行うようになった。(産業革命におけるこの歴史的瞬間の重要性は、ハンナ・アーレントとヴィレム・フルッサーによっても議論されている)むろん、尖筆から印刷プレスへという運動は、この移行のダイナミクスを反映している。そしてもう一点理解されるのは、歴史的な軌道がこの引き続いて「コンピュータ層」と「文化的層」――この後はレフ・マノヴィッチが今日のデジタル・カルチャーの根本的な弁証法的展開を記述するために用いた後だが――とが現出することを告げ知らせるものであるということだ。
グラマティゼーションは、技術的進化と人間とテクノロジーの関係について、よくある拡張――つまりテクノロジーとは人間の生得的能力を人工補綴(義手や義足)的に拡張することだ、と考える――とは少しばかり異なる学説を示している。グラマティゼーションのプロセスで考えられていることは、テクノロジーとはある「割り当てること」の結果――「拡張すること」ではなく――ある一つの流れや運動、人間やそれ以外のものの連続性から分離してくることによって定義付けられるような「割り当てること」という、無機的な物質の組織化である。一度バラバラにされ、無機物として自律的に刻み込まれたもの、運動は文法となり、従って代補の論理とデリダが「エクリチュールの原子核特徴(trait=トレ)」と呼んだものによって拡張する。このような技術の繰り返し可能性や、社会的組織化の発展における技術の起源的・構成的力や、存在論、また人間の身体そのものについても拡張という概念は考えられないのである。
2015/07/13
シモンドンとドゥルーズの個体化における「特異性」解釈の差異
堀江 郁智
ジルベール・シモンドンとジル・ドゥルーズの「特異性」の概念
― 「情報」の形而上学的な問い直しのために ―
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/56694
シモンドンは「個体化の原理」の探究を一からやり直そうとする。(……)個体は、「存在の特定の相」でしかありえず、それ単独では決して存在することのないものとして把握される。(……)最終的に、シモンドンは、2つの伝統的な個体観が陥っている共通のアポリアを鮮やかに指摘し、そのアポリアを乗り越えるものとして「前-個体的なもの」と個体の組が生成される「個体化の作用」という考え方を提示している。
—
1.2 「内的共鳴」の発端としての「特異性」
また、シモンドンの個体化論を特徴づけるもう1つの鍵概念として、「特異性singularité」という用語がある。現実に存在する1つの個体がありうるためには、効力のある技術的操作opérationが、粘土の明確な塊masseと平行六面体の観念notionの間にある媒介médiationを創設する必要がある。
シモンドンは、異質な「大きさの次元」の間に相互作用が生起する状態、言い換えれば「準備された素材」が「物質化された形態」を獲得する状態のことを「内的共鳴résonance interne」と呼んでいる。(……)この「内的共鳴」を起動させる因子とされるのが「特異性 singularité」である。(……)「特異性」は中間の次元にあって2つの「大きさの次元」を交流させる。加えて、シモンドンによれば、この中間の次元にある「特異性」とは、「具体的なココトイマhic et nuncの特異性あるいは諸々の特異性」のことである。
—
さて、ドゥルーズは、シモンドンの博士主論文の前半が収められた『個体とその物理-生物学的発生』に対する書評を1966年に発表している。(……)ドゥルーズの書評はシモンドン の個体化論の単なる紹介や注解につきるものではなく、そのなかにすでにドゥルーズ独自の解釈が現われている。(……)ドゥルーズは、シモ ンドンの知見の重要性を要約している。
シモンドンは個体化の前提条件を発見することで、特異性と個体性を厳密に区別している。というのは、準安定的なものは、前個体的なものとして定義され、現実存在とポテンシャルの再配分に対応する諸々の特異性を完全に備えているからである。[…]個体的であることなく特異であること、それは前-個体的な存在の状態である。
言い換えれば、ドゥルーズに とってシモンドンの個体化論の卓越性は、彼が「特異性」を「個体性」から鋭く分離したこと、彼が特異性を「前-個体的なもの」であると見なしたことにある。しかしながら、実際の記述では、シモンドン自身は「前-個体的なもの」に「特異性」の地位を明瞭に与えているわけではなく、むしろ、シモンドンは「個体の水準」において生起する個体化という媒介的な現実に「特異性」の地位を与えているように読める。(……)個体化は生起する以前の「前-個体的なもの」に「特異性」があるというより、まさに「個体の水準」において、「特異性」が2つの「大きさの次元」の中間で両者を交流させ、内的に共鳴させると言えるだろう。(……)シモンドンの実際の記述は、シモンドンの議論がドゥルーズの書評における「特異性」の定義に必ずしも収まるものではない。
—
それにもかかわらず、ドゥルーズのシモンドン読解を誤解に基づいたものとして安易に退けることもまた避けなければならない。誤読であったとしても、それが結果的にシモンドンの哲学の可能性を最大限に引き出すものである限り、それはドゥルーズ研究だけではなく、シモンドン研究に対しても重要な手がかりとなる(……)
(続く)
2015/03/16
record_2015_03
0313 西洋のからくり人形 AUTOMATA -It’s a small theater- @ 小山市立車屋美術館
0313 群馬青年ビエンナーレ2015 @ 群馬県立近代美術館
0319 紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本 @ ポーラ美術館
0321 Gate : Monika Sosnowska @ 銀座メゾンエルメス
2015/03/05
「ローマン・オンダックをはかる」について
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以下はTwitter上での会話( https://twitter.com/oqoom/status/572968165560475649 )へのリプライです。
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まずは「ローマン・オンダックをはかる」、とても興味深く拝見しました。
その上で、先にTwitterで言いたかったことは、(「唯名論的」と言ってしまいましたが)もう少し正確に言えばたぶん「「固有名」とか「確定記述」というような問題の枠組み」ということになろうかと思います。以下、もう少し具体的に書きます。
私がこの展示を見たとき、その時点で作品というか展示を物理的に構成していたのは(まだ)何もない空間とキャプション(訪問者への指示を含んでいるので、インストラクションと言うべきでしょうか)の、2つでした。ギャラリーへの指示書もあったらしいということを後に知りましたが、私はその時は気づきませんでした。
そこで私は、キャプションを読むことにしました。そして読みながら、(正確な文章は忘れてしまいましたが)肝は「あなたがローマン・オンダックだったら……」というような「あなた」という言葉だと考えました。そして私は当然「オンダックではないのでなんか蚊帳の外だな」とか、そして「ここは日本だからオンダックが来る可能性は限りなく少ないよな」とか、「でもその可能性は原理的にゼロではないよな」とか、「まぁそうはいってもスロバキア遠いしな」とか、そんなことを考えました。
そんなことを考えたのち、とはいえ「これを(つまりオンダックのみに向けられた文章を)蚊帳の外のわたし」に読ませた「奥村雄樹」というアーティストがいるのだ、ということに思い至りました。ならば、「奥村雄樹」は、このキャプションを含む作品空間(展示)を設えることで、それを読む「わたし」をどのような位置に置こうとしたのだろうか……。
そして再びキャプションに戻った時、やはりその中の「あなた」という言葉が、この作品を見ている蚊帳の外の私が、唯一この展示と接点を持つことができる点なのではと思いました。それこそ「固有名」によって指し示されるもの(”ローマン・オンダック”とか”金井 学”とか)は、確定記述的な要素の羅列(1966年生まれ、スロバキア人……だとか、1983年、東京生まれ……だとか)では原理的に汲みつくせないし、ましてその要素の真理性は究極的には証明できないので、「この「ローマン・オンダックである(かもしれない)あなた」は私のことかしら、と言えないわけでもないしな」と考え、なんだかあの空間の白い壁で測られるべき存在(オンダック)とそのキャプションを見ている「わたし」の間で、なんだか宙づりにされてしまったように思ったのです。
ところで、その時、「この宙づり感は、奥村さんの以前の作品から感じたことに近いな」とも思いました。きちんと作品を拝見できているわけでもないのですが、「Jun Yang….」の翻訳者の言葉の宙づりさ(いったいこの言葉の話者、主体、主語が指示する存在は誰なのか?)とか、風桶展の時のインスタレーションや六本木クロッシングの展示の際の「これを作った(これらの作品を用いて(編集して/翻訳して、再作品化しようとしているようにも見える、奥村雄樹という)アーティスト」の宙づりさ、とかの感覚に似ているなと思い、そういう点で、今回の作品は、過去のプラクティスに連なるものなのかな、と思ったのです。
そのような感想の上で(とはいえ、この見通し自体が、単に邪推なのかもしれませんが)、再び「ローマン・オンダックをはかる」を振り返ると、やはりこの展示では、「なにもない」「なにも起こりそうにない」ということが、強調されすぎているのではなかろうか、とも思ったのです。この作品と、作品を見る私とを繋げてくれるのは、キャプションの文章しかない。
もちろん文章を読みながら宙づりな感覚ももったのですが、しかし、この宙づり感みたいなものは、「わたし自身」と「固有名」や「確定記述」が交わる場(例えば、役所で実印登録をする時とか)にも浮かび上がってくるものでもあるよなぁ、とも思うのです。したがって、最終的にわたしとしては、「この作品を単純に「「固有名」というものが持つ不思議」」みたいな形で受け取るのは、あまりに貧しい受け取り方だろう」と考えるに至りました。
そこで最終的には、おそらく、あの作品はこれを設えた奥村さんの存在、そして実在するオンダック本人の存在も含めて考えるべきなのではないだろうか(しかし、これについては僕はまだ十分に考えられていません)ということにたどり着いたのです(←イマココ、ということです)。だがしかし、そうは言っても今回のようにきれいに「何もない」と、「固有名」のような問題を扱っているのだというような、わりとわかりやすい話に持って行ってしまうこともおきやすいような気もして、「唯名論的なフレームに落ちてしまいやすいのではと思った」と申し上げたのでした。
そしてそうは言ってみたもの、これはあまりにグルグルと考えすぎなのかもしれない、とも思っています。というのも、シンプルに言えば、やはりあの空間には「何もなかった」と言ってもいいのではないか、と思うからです。そしてグルグル考えたのは、それが「何もない」がゆえに、どこまででもあらゆるものを読み込ませられるような構造になっているのではないか。
ですが、もしそうであるならば、ジャッドやモリスの作品が孕んだ問題が再召還されるような気もします(何もない、空の箱であるが故に持続してしまう時間。フリードはこれをバッサリ斬った)。
奥村さんの作品には、個人的にすごく惹きつけられてきました。今回の作品ももちろんそうです。
これまでの作品には、それを見ている私が、見終わって語りたい/指し示したい対象がありました。例えば、そこには言葉や、空間に響き合う音声や、配置された映像がありました。そしてそこに亡霊のように翻訳者や作家としての奥村さんの存在が覆いかぶさっていた。そしてその状況を見て魅力的に感じ、鑑賞者であるわたしがその構造を説明しようとした時、なにをどう指し示したらよいのか、ふさわしい言葉がみつからない、言葉が宙づりになってしまう。複数の主語(主体)、異なる言語の狭間で、指し示したい存在は見えているのに、そこに言葉を与えることができない。自分が翻訳者になって居心地の悪さを味わっているような、不思議な感覚を覚えました。
でも今回は、少なくとも私が見た時点では何もなかった。むろん、これはきっと奥村さんのプラクティスの新たな展開や発展が企図されていてのこと、なのだと思います。それがなにを意味するのか、これから鑑賞者としての私は考えてみたいと思っています。
すみません、ずいぶん長くなってしまいました。
そもそもオンダックのことも「宇宙をはかる」とかチョコの紙の作品ぐらいしか知らず不勉強なので、「違うんだよ、他にちゃんと文脈があってだな……」というレベルの見当違いな感想かもしれません。どうぞご容赦くださいませ。
なにはともあれ、作品について何か書くというのは、はっきり言えば見ている側が試されるということで、なんとも恥ずかしいです。
2015/02/04
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2015/01/13
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2015_01
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