シ・ワ・ケ・!

http://www.art-it.asia/u/admin_columns/47Il0WSmBUZ8JTtxQkHh
先日、お呼ばれした渋谷のレストランでの結婚パーティの際にK氏とも話したのだが、文化庁予算の仕分けの件。
WGの判断も概ね正しいし、サワラギの論も正論。まぁその通りですよ。
こういった事業は(たぶん海外と比べても少ないんだろうけど)金は突っ込んでいて、且つある程度つっこまなきゃいけないというところまでは理解されているんだろうけど、そもそもリソースは有限だし、現状それが効果的なかたちで生かされてるかどうかは分からんのは事実なので、ベターな方向へ抜本的に考え直しということになれば良い。今のところ、本当にお金が必要な人にまわって来ていないのだから。
WGのコメントも……

●芸術は自己責任。日本独自の洗練された文化レベル・芸術性が通用するのであれば、しっかりしたマーケティングで興行可能。
●人材育成は不要。各コンテストの副賞等で有望な人材は留学している。

とかは、あまりにモノを知らな過ぎなんじゃないかと思ったりするけれど、

●事業対象者のフォローの仕組みと評価の仕組みを構築してから今一度実行。事業自体は重要と考える。運賃のコストの見直しも必要。
●分止まりを含め、何を目標とすべきか。フレームワークそのものを先に作るべき。ゴール設定がメジャーメント可能でないので評価できない。ただし、芸術家支援そのものはしっかりやるべき。

とかは、本当にごもっとも。
有限なリソースの分配こそが行政なのだから(従って「敵を殺せ」でもあるわけだけれど)、産業的に回収を見込める(と思い込んでいる)”文化庁冬のメディア芸術まつり(笑)”とかいう本当に下らなく且つ痛いイベントにも金をつっこみたくなるのだろうが、それは本来経産省とかから出るべき金なのであって、文化庁からは(額自体は少なくていいから)そもそも資本主義的フレームワークを度外視しないといけない「美術」(というか広義の文化)にお金を回してもらいたいとフツーに思う。
そういった美術が行政によって「それは敵だ、敵を殺せ」となり、また有権者によって承認されるのならば、それはそれで自由だから結構ですが、私はその社会から下りる自由を行使します。
あ、あと蓮舫はやっぱり可愛い。

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