http://news.google.com/news?client=safari&rls=en&q=平山郁夫%E3%80%80逝去&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&hl=ja&ei=5nAWS46WC4uUkAWFlYH_Bg&sa=X&oi=news_group&ct=title&resnum=1&ved=0CA4QsQQwAA
冥福は祈りません。祈るわけないじゃん。
死人に鞭打つようだけれど、これを機にマスメディアはおそれることなく盛大に叩くべきだと思う、画壇システムも含めて。これでこの国の「美術」が正しい姿を取り戻してくれると良いのだけれど。
浅田を引くまでもなくまでもなく、この人、普通に下手だよね……っていうか、ヒロヤマガタ(笑)、マックナイト(笑)、ラッセン(笑)のラインに、東山魁夷(笑)と平山郁夫(笑)を並べてもたいして違和感がないというのが、逆にスゴい。
ボルタンスキーの「最後の教室」がお化け屋敷に見えてしまうっていうのもそうだけれど、やはり”西側的な意味での近代”は、この国にはそのまんまのカタチでは存在しない、というのは否定しようがない。(とはいえ個人的には、近代そのものがない、という程単純ではないと思います。)
だから浅田の言う、カウンターとしての村上の”極東土人の居直り戦略”は独り相撲だ、というのはその通りだと思うし、僕としては近代があったとしても、カウンターという戦略自体がもはや無意味で唾棄すべきものだということも言い添えておくけれど……でも、ちょっと待った!
もしかしたら、そういう意味で平山先生の作品(笑)が、村上などに先立っておこなわれた”ニッポンのラディカルで反体制的なマンガの真似ごと”だったのかも……ということは、まさか……あるのだろうか!?