告知です。5月1日の深夜(たぶん24時くらい)から、「メイキングオブ『「悪」と戦う』」という連載をします。「たぶん24時くらい」というのは、れんちゃんとしんちゃんを寝かしつけてから、ということですので、そのまま寝てしまったら、スタートは午前3時とかになる予定w。 8:15 AM Apr 30th webから
内容は、新刊のメイキングと少し突っ込んだ小説論の予定です。かねがね、文芸誌に真面目に評論を書くのが、なんか不自然な気がしていました(でも書きますが)、そういうのって、ほんと文学と関係あんのかよ! って思っちゃわけです。こういう「歩行者天国」みたいなところでこそやってみたいな、と。 8:23 AM Apr 30th webから
路上演奏ですのでw、できるだけリプライします。 RT @neurosnowblind @takagengen もしよろしければツイート後に @で質問など飛ばしたら反応してくださいますか? 8:30 AM Apr 30th webから
ぼくの好きな言葉にSauve qui peut ってのがあります(「ソーヴ・キ・プー」ですかね)。内田樹さんに教わりました。ゴダールの映画『勝手に逃げろ』の原題です。これは、敗北した軍隊の司令官が部下たちに「とりあえず散り散りになって、生きろ!」と命ずる最後の指令でもあり、 8:48 AM Apr 30th webから
遭難した船の船長が「各人、自発的に退去せよ」と投げかける言葉でもあります。文学(小説)にとって、これ以上ぴったりの言葉ってないんじゃないでしょうか。というか、文学(小説)の歴史は、他ジャンルから「ソーヴ・キ・プー」したり、境界で「ソーヴ・キ・プー」したり、の歴史でもあったのです。 8:53 AM Apr 30th webから
予告編① あと少し、24時頃から「メイキングオブ『「悪」と戦う』」という連続ツイートを始めます。毎日、同じ時間に少しずつ、二週間ほど続ける予定です。中身は、ぼくの新作に関するあらゆること。具体的には始めてみないとわかりません。なにしろ、ふだん寝てる時間帯だから、起きられるか……。 4:23 AM May 1st webから
予告編② ツイッターを始めて4カ月、なんとなくわかったことがあります。それは、ツイッターの「公共性」が、小説の「公共性」とよく似ていることです。いや、「小説」の「なにをやってもかまわない」という性質が、ツイッターのそれとよく似ているといっていいかもしれませんね。 4:25 AM May 1st webから
予告編③ ツイッターという「歩行者天国」で、ギターを抱え、通りすがりの人に歌うおじさん(「なに、あの人? お客いないじゃん」)をやってみます。一つ決めているのは、ツイートすることは、ふだんぼくが原稿として書いているものと同等以上のクオリティーにすること。そしてそれを無料で配る。 4:29 AM May 1st webから
予告編④ 昨日(今日?)、ツイッター上で、岡田斗司夫さんと町山智浩さんの間でちょっとした「論争」がありました。岡田さんが「社長の岡田さんに月1万円ずつ払う社員でできている会社」を作ろうとしたことに、町山さんが「違法ではないか」と言ったのです。確かに町山さんの言う通り、違法です。 4:32 AM May 1st webから
予告編⑤岡田さんはなぜそんな変なことを思いついたのか、岡田さんは、社員から1万円ずつ集めた会社(そこでは岡田さんが社員にスキルを教えます)からの金で生活し、その代わり、どこかへ原稿を書く場合はすべて無料で書こうと考えたのです。ひとことでいうなら、「商品経済からの離脱」です。 4:35 AM May 1st webから
予告編⑥ どんな表現も「商品経済」から逃れられないとするなら、岡田さんの「会社」は単なる夢想にすぎないのでしょうか。「商品経済」はきわめてよくできたシステムです。しかし、ぼくは、「商品経済」の「外」に、可能性を見いだそうとする岡田さんの強い願望がわかるような気がしたのです。 4:38 AM May 1st webから
予告編⑦ 岡田さんの「会社」もまた、新しい「共同体」への希求の現れでしょう。そして、そういう人を見ると、人は「なんておかしなことを考えてるんだ、狂ってる」と言ったりするのです。でも、狂ってなきゃできないこと、狂ってなきゃ見えないこともあるんですけどね。 4:40 AM May 1st webから
予告編⑧ 最初のツイート以外にはなにも決めていません。ふだん原稿を書く時と一緒です。キース・ジャレットみたいに即興です。途中で立ち往生するかもしれないし、子どもたちが寝ぼけて書斎に侵入してくるかもしれない。その時はごめんなさい。それでは、「午前0時の公共性」をお待ちください。 4:46 AM May 1st webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』① この間、ゼミで村上春樹さんの『1Q84 』BOOKⅢを読んで、みんなの感想を訊いた。みんなはそれぞれ、テーマやメッセージや隠された謎やその解釈についていろいろしゃべってくれた。なかなかのものだった。その時、T君が、突然こんなことを言い出したのだ。 5:00 AM May 1st webから
メイキング② 「テーマもメッセージもなにもないと思うんです。空っぽなんだと思うんです」。「じゃあ」とぼくは言った。「そこにはなにがあるの?」。すると、T君は、「村上さんは、小説を書いているんだと思う。というか、小説を書きたいんだと思う。ただそれだけ。他にはなんにもなし」 5:02 AM May 1st webから
メイキング③ 「いちばん大切なのは、小説を書くこと、他はどうでもいい!」。T君の発言は、みんなを困らせた。なにがなんだかわからない。でも、ぼくはものすごくおもしろいと思ったんだ。村上さんのその本が、そうであるかは置いておくとして、T君は、ふつうの人が思いつかないことに気づいた。 5:05 AM May 1st webから
メイキング④ ふつう、小説で大切なことというと、作者が言いたいことや、物語や、テーマや、文体やら、ということになる。でも、T君によれば、小説は、なにも積んでいなくても、ただそれだけで価値がある、積載物ではなく、それを積んでいる本体(車体?)の方に意味がある、のだ。 5:08 AM May 1st webから
メイキング⑤ なんだか抽象的な話になっちゃいそうだなあ。いかんいかん。具体的な話をしてみよう。「小説しかない」という小説の、最近のもっともいい例は東浩紀さんと桜坂洋さんの『キャラクターズ』だと思う(もちろん、「小説しかない」わけじゃなく、それ以外のものもたくさん詰まっているが)。 5:13 AM May 1st webから
メイキング⑥ ぼくは『キャラクターズ』の評価が低いことに、というか、際物扱いされることにほんとにガックリしていた。東さんの『クォンタム・ファミリーズ』は「文学作品としては」『キャラクターズ』よりずっと上かもしれないが、「小説の強度」としては、『キャラクターズ』の方が上だ。 5:16 AM May 1st webから
メイキング⑦ 『キャラクターズ』をの読者は(というか、批評する側は)、例外なく困惑する。作者がふたりいること、にだ。ぼくたちは、作者というものは一人であり、その一人しかいない作者のメッセージを解読することが「読む」ことだと「思わせられている」。 5:18 AM May 1st webから
メイキング⑧ もしふたりの作者が、作品内で勝手に、それぞれの道を行ってしまったら、読者はどう解読していいのか、自信をもって言うことができなくなってしまうだろう。でも、それでいいのだ。わからなくっても。というか、わからなくするために、作者は、小説という手段を用いているのだ。 5:20 AM May 1st webから
メイキング⑨ 小説というものは、ほんとうは「『私』は、『私』以外の他人、『私』以外の『私』を実は理解できない」ということを証明するために書かれているからだ(とぼくは思っている)。だから、誰が書こうとほんとうは小説なんか意味がわからないのだ(他人の考えていることがわかりますか?)。 5:23 AM May 1st webから
メイキング⑩ なのに、ふだんぼくたちは、わかったような気がしてしまう。他人が考えていることがわかるような気がしてしまう(そんな気にさせてしまう点こそ、多くの小説の重大な「罪」)。そんなぼくたちの目の前に、ふたりの作者が書いた一つの作品が現れる。ただそれだけでぼくたちは不安になる。 5:27 AM May 1st webから
メイキング⑪ ふたりの異なった意見を持つ他人が目の前にいる。面白いのは、そのふたりがお互いに理解し合ってはいないように見えることだ。だから、ぼくたちは不安になる。彼らの間にコミュニケーションがないように、ぼくと彼らの間にも理解し合えるものはなにもないのではないか。 5:30 AM May 1st webから
メイキング⑫ 以前、ある雑誌で阿部和重さんと中原昌也さんが「共作」するという話が出た。実現はしなかったけれど(たぶん)、その話を聞いた時、ぼくは「さすが」と思った(「馬鹿なことやってる」という反応が大半だった)。小説がほんとうはなに(でありうる)のか彼らにはわかっていたのである。 5:35 AM May 1st webから
メイキング⑬ 小説はひとつの「公共空間」だ。公共空間とは「複数の、異なった、取り替え不可能な『個』がいる空間」だ。なぜ、そんなものを書こうとするのか、それはぼくたちが日々「公共空間」を生きているからだ。もしくは、いま生きている世界に「公共性」を取り戻したいと考えているからなのだ。 5:38 AM May 1st webから
しんちゃんが泣きだしたので(たぶん歯痛のせい)、本日はここまで。質問等々あれば、リプライください。できるだけ返事します。とりあえず、子どもの様子を見てきます。んじゃ。 5:40 AM May 1st webから
たぶんそれが小説の持つ「力」です。 RT @it663 @takagengen すると小説とは、「究極的には通じ合えないけれど、共に在るものたち」の実相を描くものだということでしょうか。しかしなぜそのことが、時には通じてしまう(ように、少なくとも思える)のか? 6:20 AM May 1st webから
同感です。韻文は共感を迫ります。散文は共感ではなく覚醒を迫るものです。 RT @it663 @takagengen 小説の、「あいだ」のメディア、幽霊的な(?)メディア性を考えた時、それが散文の(prosaicな、味気ない)表現であることが、逆に強みになるのではないですか? 7:01 AM May 1st webから
それが「公共性」ですね。 RT @levinassien 一人の書き手の中にも複数の「私」がいる……その「私たち」……が多様であるほどに「私」が語る物語は交響楽的な厚みと深みと温かみをもつ……そういうテクストを読んでいるとそこに自分の参加できる「パート」があるように思えて 2:15 PM May 1st webから
今日の予告編① 昨晩は「メイキングオブ『「悪」と戦う』にお付き合いねがい、ありがとうございました。びっくりするくらい反響がありました。一晩でフォロアーも500人以上増えました。今晩も、「歩行者天国」で、24時スタートの予定です。 4:05 AM May 2nd webから
予告編② 昨日は、小説について一般的な話をしました。今晩は、もっと具体的なことを呟くつもりです。『「悪」と戦う』を執筆していた時に起こった「事件」、そして、45年前に大江健三郎さんの小説に起こった「事件」、その二つについてツイートする予定です。変なことを言わないよう気をつけます。 4:07 AM May 2nd webから
予告編③ 最初のツイートと大まかな内容は決めていますが、やってみないとわかりません。昨日も言ったように、すべて即興。準備なし、メモなし、すべて記憶が頼りです。途中で立ち往生したらその日はそれでお終い。間違いは、後で訂正します。 4:09 AM May 2nd webから
予告編④ 準備なし、メモなしは、講義や講演も同じで、だったら90分は大丈夫なはずですが、どうも30分ちょっとが限界みたいです。100メートル競争や潜水泳法みたいに、無呼吸でしゃべってる感じだからです。体にはよくありませんね。 4:11 AM May 2nd webから
予告編⑤ 誰でも書けるようになる時代です。ということは、「歩行者天国」には無数の「路上演奏家」がいる。「コンサートホールでも演奏できるのに、どうしてわざわざ『路上』でやるんですか」と訊ねられました。みんなが「路上」でやるなら、ぼくは「路上演奏家」としても最上ものをやりたいから。 4:14 AM May 2nd webから
予告編⑥ その上で「コンサートにも来てください。あっちは有料だけでその価値はあります」といいたいからです。いまどき、「コンサートホール」も赤字 なんだけど。 4:16 AM May 2nd webから
予告編⑦ 24時スタートだけはなんとか死守するつもりです。「あっ、あの人、またあそこでなんかやってる」でいいんです。なんだか、銀座でいつも演説していた赤尾敏みたいだけど。赤尾敏は流れてゆく群衆に向かって、一歩も動かず、説得し続けようとしていました。バカだな。でも、得難いバカです。 4:19 AM May 2nd webから
予告編⑧ それじゃあ、24時に。またお会いしましょう。 4:21 AM May 2nd webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』2の① 去年の正月、当時2歳と9カ月の次男(しんちゃん)が急病になり、救急車で病院に運ばれた。ただの発熱と嘔吐から、病状が一変したのは1月1日の早朝のことだった。水を飲ましても口からこぼし、話しかけても返答はない。時々獣みたに吠えるだけ。 2の① 5:29 AM May 2nd webから
メイキング2の② 病院に着いたしんちゃんはすぐに腰椎穿刺を受け、MRIとCTの検査を受けた。ぼくと妻を控室に呼んだ医師ははっきりとこう言った。「急性脳炎だと思います。助かるかどうかわかりませんし、仮に助かったたとしても、重篤な後遺症が残る可能性が高いと考えてください」。 5:32 AM May 2nd webから
メイキング2の③ ぼくは集中治療室のベッドにほぼ全裸でくくりつけられているしんちゃんを見た。体はほとんど動かないのに、その動かぬ体で、体から延びたチューブを外してしまわぬように、くくりつけられていたのだ。ぼくはすぐには事態を受け止めることができなかった。死ぬ? 麻痺? 植物状態? 5:36 AM May 2nd webから
メイキング2の④ 集中治療室を出たのは、救急車で運ばれてから1週間以上たった時だった。生命の危機は脱したが、体はほとんど動かず、首も座らなかった。目は開いているのだが、見えているかどうかもわからなかった。声をかけても反応はなく、なにもしゃべらなかった。言葉を失ってしまったのだ。 5:40 AM May 2nd webから
メイキング2の⑤ 医者は「小脳性無言症だ」と言った。小脳に強いダメージを受けたしんちゃんは発語機能を冒されてしまったのだ。ぼくはおそれおののいた。なぜなら、当時連載していた『「悪」と戦う』の中で、しんちゃんをモデルにした登場人物の「キイちゃん」はしんちゃんと同じ症状になるからだ。 5:44 AM May 2nd webから
メイキング2の⑥ 「キイちゃん」は、「悪」と戦い、その代償として「言葉」を失う。でも、それは、小説の中の「お話」のはずだった。日頃、冷静な妻がぼくにこう言った。「あなたがあんな小説を書いてるからよ。いますぐハッピーエンドにして、小説を終わらせて」。ぼくは答えることができなかった。 5:47 AM May 2nd webから
メイキング2の⑦ そんな馬鹿なと思われるだろうか。そんなものは偶然の一致だし、小説をどのように変えても、現実のしんちゃんの容体が変わるわけじゃない。もちろん、ぼくもそう思った。だが、そんな縁起の悪い話を書いているのなら、妻が言うように、ハッピーエンドにしてもいいじゃないか。 5:50 AM May 2nd webから
メイキング2の⑧ ぼくは次の回で、「キイちゃん」が言葉を取り戻し、小説を終わりにしようか、と本気で考えた。だが、できなかった。祈りを捧げるように、しんちゃんのために、小説の中身を変えてもいいじゃないかと思った。だが、やっぱり不可能だった。「できない」とぼくは言った。「どうしても」 5:53 AM May 2nd webから
めいきんぐ2の⑨ ぼくが、連載中の『「悪」と戦う』で、現実のしんちゃんと同じように、言葉を失って苦しむ「キイちゃん」の運命を変えなかったのは、それが不可能だからだ。小説家は、自分が書いている小説をどうにでもできるわけじゃない。なんでもしていいわけじゃない。できないことがあるのだ。 5:55 AM May 2nd webから
メイキング2の⑩ いまから45年前、大江健三郎が『個人的な体験』という小説を書いた。作者に似た主人公の「鳥(バード)」に子どもが生まれる。生まれた子どもは、脳に致命的な障害を持っていた。「鳥(バード)」は激しく悩み、彷徨する。そして、子どもが、自然に亡くなることすら夢想する。 5:59 AM May 2nd webから
メイキング2の⑪ 結局、「鳥(バード)」は、障害を持った子どもを受け入れ、その子と生きてゆこうと決意するところで小説は終わっている。大江健三郎の初期の代表作だ。問題は、『個人的な体験』が書かれてしばらくたってから起こった。誰も想像もしたことのない奇妙な問題だった。 6:01 AM May 2nd webから
メイキング2の⑫『個人的な体験』は、当時、結末部分が「ハッピーエンドすぎるのではないか」と批判された。仮に大江健三郎の個人的な体験に基づくものであるにしても、あまりにヒューマニスティックすぎるのではないかと。そして、後に、大江健三郎は、別の結末を持つ私家版を作ったのである。 6:04 AM May 2nd webから
メイキング2の⑬ 私家版の結末では、子どもは、無残に亡くなることになっていた。この、ふたつの結末を持つ小説について、江藤淳が、作者の大江健三郎は、雑誌で激論を交わした。江藤淳が批判したのは、作者が結末を変更した作品を書いたことではなく、「批評を受け入れる形で」書き直した点だった。 6:07 AM May 2nd webから
メイキング2の⑭ 江藤淳の厳しい追及に、大江健三郎は「結末はどのようにでも書ける」と意味の発言をした。ぼくには、江藤淳がどうして、あれほどまでに徹底的に問い詰めたのか、わかるような気がするのである。江藤淳という批評家は、誰よりも「私」と「公」を峻別しようとした人だった。 6:10 AM May 2nd webから
メイキング2の⑮ 小説は、それを書く小説家という「私」のものだろうか。違う。ひとたび書き始められた時、小説も、そこに登場する人々も、その固有の運命から逃れられなくなる。なぜなら、現実のぼくたちがそうだから。小説は、現実を映す鏡であり、作者が恣意的に「私する」空間であってはならない 6:14 AM May 2nd webから
メイキング2の⑯ 作者が恣意的に登場人物を弄ぶ空間に、どうして読者は入ることができるだろう。そこは恣意的な「私」空間であり、ぼくたちが運命をあずけることのできる「公」空間ではない。作者は、小説とその登場人物に対して、倫理的に振る舞う義務がある。「私」と「公」を繋ぐとはそのことだ。 6:18 AM May 2nd webから
メイキング2の⑰ 小説には、そんな、書いている作者にもどうすることのできない物質性のようなものがあるとぼくは考えている。それがたとえ虚構の人物であっても、作者は、その運命を恣意的に扱ってはならないのである。では、登場人物たちの運命を変える権利は作者にはないのだろうか。 6:21 AM May 2nd webから
メイキング2の⑱ 少なくとも一つ、登場人物たちの運命を、恣意的にではなく変える方法があるような気がする。それは、彼らの世界の傍らに、彼らが登場するもう一つ別の世界を作ってみることだ。ちょうど、『1Q84』や『クォンタム・ファミリーズ』がそうであるように。いや、『「悪」と戦う』も。 6:24 AM May 2nd webから
メイキング・終わり ふう。今日はここまで。すいません、スタートが遅れて。いつも寝てる時間だったので、つい寝てました。 6:25 AM May 2nd webから
どちらかを作者は選ぶべきでしょう。どれほど迷ったとしても。 RT @yoshihyde @takagengen ある作家が迷いに迷い、二つの結末を書き上げたとして、どちらが「正しい」か自分で選べない場合はいかがでしょうか。 6:35 AM May 2nd webから
いちばんわかりやすい例が「恋愛」ですね。だって、相手のことが「わからない」から好きになるでしょ。 RT @tick_tock_kato @takagengen 「わからないもの」それに惹かれたり恐れたりしながら 人間は進化してゆくんですね 7:04 AM May 2nd webから
「ボヴァリー夫人」は通俗的な思考しかできない、浅い内面の持ち主です。もちろん、フロベールとは違う。けれども、そんな世界から逃れることができない運命は一緒です。 RT @miyabi74 「ボヴァリー夫人は私だ」も同様なのでしょうか? 未だに解釈できずにいます。 7:17 AM May 2nd webから
みなさんありがとうございました。すべてにリプライはできませんが、感謝しております。また、今晩の24時(寝てなければ)、お会いしましょう。お休みなさい。 7:36 AM May 2nd webから
@levinassien ありがとうございます。小説を書く時、作者が行うべきことは、ただ「世界」を作る。それだけです。後は、「その世界がどんな法則で動いているのか」、初めて訪れた旅人のように探るのです。その点では、読者と変わりません。作者は、その小説の最初の読者なんですからね。 2:34 PM May 2nd webから levinassien宛
今日の予告編① メイキングオブ『「悪」と戦う』も今日が3夜目です。昨晩は、24時スタートと言ったのに、30分ぐらい遅れてしまいました。まさか寝坊するとは……。今晩は大丈夫です。もう寝ませんから。 4:22 AM May 3rd webから
予告編② ぼくが早寝早起きになったのは子どもたちが生まれてからです。この5年ちょっとの習慣が変わりそうです。まだ眠いけれどすぐに慣れるでしょう。いまから30年前、作家としてデビューする前まだ肉体労働をしていたぼくは、仕事が終わってから夜7時から9時までを小説の時間にしていました。 4:25 AM May 3rd webから
予告編③ 激しい労働の後は2時間が、ぼくの肉体と脳が働く限度でした。最初はたいへんでした。体がつらくて。でも、半月もすると、午後7時になると、どんなに疲れた日でも不意に疲れがとれました。2時間するとウルトラマのカラータイマーのように点滅して、ドッと疲れたしまったのですけどね。 4:28 AM May 3rd webから
予告編④ 昨晩はしんちゃんが急性脳炎にかかり、それが連載中の小説と酷似した状況を産んだこと、でも、小説の結末を変更することが不可能だったことを呟きました。今晩は、もう一つその時起こったこと、考えたことを呟く予定です。実は、今日呟くことの方がぼくにとってはずっと大きかったのです。 4:31 AM May 3rd webから
予告編⑤ しんちゃんが入院していた病院は、日本でもっとも大きな小児専門病院の一つで、全国から重篤な病に冒された子どもや難病の子どもたちが入院していました。そして、しんちゃんの周りで次々と子どもたちが亡くなっていきました。その時、しんちゃんのベッドの横で考えていたことです。 4:34 AM May 3rd webから
予告編⑥ だから、それは、今日初めて考えるのではなく、何度も繰り返して考えていたことです。でも、それは直接活字にするつもりはありませんでした。小説の中で書けばいいと思ったのです。しかし、今日は、なんとかことばにしてみたいと思っています。じゃあ、24時に、路上でお会いしましょう。 4:37 AM May 3rd webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』3の① しんちゃんが「回復不能な後遺症にかかる可能性が大きい」と言われたとき、あらゆる親がそうであるように、ぼくは、すぐにはその事実を受け入れることができませんでした。『「悪」と戦う』と同じようなことが起きているということなど、頭から消えていました。 5:01 AM May 3rd webから
メイキング3の② 医者に宣告された夕方からの記憶は少し飛んでいます。自分に向かって「ちょっと落ち着いて考えてみよう」と言っていたような気もします。でも、それは記憶の捏造かもしれません。なにか異物が頭か胸の中に入り込んでしまったみたいで、ただひたすら苦しかったのです。 5:04 AM May 3rd webから
メイキング3の③ 数日前まで、元気で、ゲラゲラ笑って、走り回って「ぱぱあ!」と言っていた子どもが、体も動かず、口もきけず、無表情のまま、何十年も生きてゆくだけなのかもしれない。そう思うと、ぼくは死ぬほど恐ろしかったのです。それは自分の死よりも恐ろしいものにぼくには思えたのです。 5:07 AM May 3rd webから
メイキング3の④ ぼくはあと20年ほどで死んでしまう。けれど、しんちゃんは、さらに50年も生きなきゃならない。その頃には妻もいないでしょう。世話は誰がするのか。金はどうするのか。ぼくは半日くらい、本気で「銀行強盗でもするしかないのだろうか」とまで考えるほど追い詰められていました。 5:10 AM May 3rd webから
メイキング3の⑤ 事実を受け入れることができたのは翌日になってからでした。ぼくは妻に「しんちゃんがどんな風になっても、すべてを受け入れ支え続けていこう」と言いました。すると妻は不思議そうに「なに当たり前のこと言ってるの!」と言ったのです。妻は、初めから事実を受け入れていたのです。 5:14 AM May 3rd webから
メイキング3の⑥ そして、あることが起こりました。きわめて不思議な、まったく予想もつかないことでした。どんなことがあってもしんちゃんを支え続けてゆこうと思った瞬間から、ぼくは、自分の内側から、ものすごいパワーが、生まれて初めて味わうぐらい凄まじいパワーが沸いてくるのを感じたのです 5:17 AM May 3rd webから
メイキング3の⑦ その圧倒的な感情は、一週間後、しんちゃんが劇的な回復をみせはじめるまで続きました。それは、生理的には、ある種の興奮のため、脳内のアドレナリンが沸騰したにすぎないのかもしれません。けれど、そんなことを感じたことは、いままでなかったのです。あれは何だったのてしょう。 5:19 AM May 3rd webから
メイキング3の⑧ その話を、詩人の佐々木幹郎さんにした時、佐々木さんは、「わかるよ!」と即答しました。佐々木さんは(確か)おとうさん・おじさん・双子の弟が次々と倒れ、介護しなければなりませんでした。一人目は愕然、二人目は呆然、けれど倒れた三人目の弟の歪んだ表情を病室で見た時……。 5:22 AM May 3rd webから
メイキング3の⑨ その時、佐々木さんは、やはり、激烈なパワーが沸いてくるのを感じたのです。病院で、緩やかに回復してゆくしんちゃんの相手をしながら、ぼくは、ずっとそのことを考えていました。その病院は、日本でもっとも大きな子ども専門病院で、重病や難病の子どもたちが次々入院してきます。 5:26 AM May 3rd webから
メイキング3の⑩ ……そして、どんどん死んでゆく。つい昨日までベッドに寝ていた小さな女の子の姿が見えない。昨晩亡くなったのです。深夜、しんちゃんをおんぶして、廊下を歩いていると、ガラス越しに、酸素マスクをつけた幼児を、両親が身じろぎもせず見つめています。 5:30 AM May 3rd webから
メイキング3の⑪ そしてベッドは空になっている。まるで、ぼくは戦場のようだと思いました。硝煙の中で、子どもたちがばたばた倒れてゆくのです。けれど、ぼくは、不思議なことに気づいたのです。そんな重病の子どもを持つお母さんたちの表情が、きわめて明るいことに(逆に父親の表情は暗いのです) 5:33 AM May 3rd webから
メイキング3の⑫ いったい、彼女たちは、なぜあんなに明るい(ように見える)のだろう。ぼくは、ある時、食堂で、三つの難病を抱えて、三つの病院を転々として、何年もほとんど家に戻れない子どものお母さんに、質問をしたのです。「どうして、そんなに、明るく振る舞えるんですか」と。 5:36 AM May 3rd webから
メイキング3の⑬ すると、そのお母さんは笑って「そりゃ明るくしなきゃ、やってられないでしょ」と前置きし、こうおっしゃったのでした。「あの子は、うちの太陽だからです。そのことに、あの子が病気になってから気づきました。いまでは病気になってよかったと思えるぐらい」と。 5:39 AM May 3rd webから
メイキング3の⑭ ぼくはこう考えるようになったのです。ぼくたちがすることで「ぼくでなければならない」ことがいくつあるでしょうか。仕事をする。でも、その仕事は他の誰かでもできる。なにか楽しい遊びをする。勉強をする。抗議する。何だっていい。どれもぼくじゃなきゃならない理由はないのです 5:45 AM May 3rd webから
メイキング3の⑮ けれど、この世界には、どうしてもその人でなければならない、他に代わりがない事があります。しんちゃんが身動きできない体になったとするなら、その世話をするのはぼく(と妻)です。ぼくは「指名」されたのです。かけがえのないたった一人の人間として、です。 5:48 AM May 3rd webから
メイキング3の⑯ 過酷な条件と引き換えに、その「指名」された人間は、他の誰とも交換不能な「個」の徴を手に入れる。あの、説明不可能な「喜び」の感情の中には、その逆転があったのではないでしょうか。それが奇麗事であるのはわかっています。しんちゃんは、いまでもリハビリを続けています…… 5:51 AM May 3rd webから
メイキング3の⑰ ……見た目にはふつうの子どもと変わりはありません。ぼくは結局「指名」されたのではなかったのですから。でも、それから、ぼくは、しんちゃんが陥りそうになった「弱者」の立場について考えるようになりました。そこには、小説の秘密が隠されているのではないかと思ったのです。 5:54 AM May 3rd webから
メイキング3の⑱ すいません。もう少しで終わります。ぼくもそろそろ限界です。なにかが繋がりそうなんです……。 5:55 AM May 3rd webから
メイキング3の⑲ 「弱者」は「守るべきもの」だと社会は言います。でもその「守る」は「排除する」という意味です。「弱者」とは「ふつうではない人々」のことです。しんちゃんがなるかもしれなかった「障害者」、「老人」、「病人」、もしかしたら「在日外国人」や「女・子ども」もそうかもしれない 5:58 AM May 3rd webから
メイキング3の⑳ 「弱者」とは「ふつうの人々」つまり大多数(と思われている)「強者」にとって、異質なものです。それは、要するに「他者」なのです。だから、社会は「他者」である「弱者」を排除しようとする。老人や病人は、家庭から病院へ連れ出し、障害者は逆に家庭に閉じ込めるのです……。 6:00 AM May 3rd webから
メイング3の21 それは、「弱者」を「強者」の目に入らないにするためです。けれど、「強者」だけの世界はもろい。均質な世界こそもっとも脆弱なのです。この世界が生き延びてゆくためには、そのすぐ傍に「弱者」を必要としているのかもしれません。三人を介護した佐々木さんはこう言っています…… 6:03 AM May 3rd webから
メイキンク3の22……「介護とは要するにその人の傍にいること。ただそれだけ」と。ぼくたちは、生きる力をもらうためにこそ「弱者」の側に立つべきなのかもしれません。そしてさらに、ぼくはこう考えたので。「では、いちばん弱い者とは誰だろう」と。もっとも弱い者、それは「個」なのです。 6:05 AM May 3rd webから
メイキンク3の23 自分では「強者」であると、思い込んでいるすべての「個」は、やがて、老い、死に近づき、社会から排除され始めて、突然「強者」であることが幻であったと知る。そして、自分が「弱者」として分類されたことに愕然とするのです。だが、最初からそうだったのではないでしょうか。 6:09 AM May 3rd webから
メイキング3の24 ほんとうには誰のことも理解できず、ほんとうには誰からも理解されない。そのようなものとして「個」は存在しています。本質的な意味で「弱者」である「個」は、そのことを知らされないまま放置されるのです……。世界でもっとも弱い者として。 6:11 AM May 3rd webから
メイキンク3の25 小説とは、そんな「個」に、最初から最後まで寄り添うことを運命づけられた芸術だと、ぼくは思っています。小説は、なにも語る必要はありません。死ぬべく運命づけられた、孤独な、「個」の側に、無言で、けれども断固として立つのです…… 6:15 AM May 3rd webから
メイキング3の26 ……そのような孤独な「個」の共同体がありうることを唯一のメッセージとして。死すべき者の側に立つことを最大の喜びとして。以上です。ご静聴ありがとう。元気があったら、リプライします。 6:17 AM May 3rd webから
その通りです。小説はもっとも若く、他の芸術と違って、神には捧げられていません。 RT @BLUSE_MAN うまく言えませんが、よくわかる気がします。ひとつだけ気になるのはこれは小説に限った事かどうかということです。唯一神ではなく人に(個に)捧げられた芸術だからでしょうか。 6:30 AM May 3rd webから
みなさんのご返事、読ませていただきました。それぞれ、リプライしたいのですが、もはや、本日は脱け殻ですので、これで失礼させていただきます。また、次の24時に。 7:29 AM May 3rd webから
今日の予告編① 「メイキングオブ『「悪」と戦う』も、今日で4夜目です。昨日は、1時間過ぎても終わらず、ツイートしながらはらはらしていました。水面下にもぐったきり浮上できない感じでした。今日はもう少しゆったりした気持ちでやれればいいなと思います。やってみなければわかりませんけど。 4:22 AM May 4th webから
予告編② 140字以内っていうのが、いいのかもしれませんね。最初から1000字も2000字もあったら、ぼくだって読みません。でも140字ずつなら、ふだん読んでいる時、文章と文章の間で少し休むでしょう。あの「息継ぎ」の感覚です。そうか、やっぱり「息継ぎ」しながら泳いでるのか。 4:25 AM May 4th webから
予告編③ 今日は、ぼくが大学院で最初に教えたAくんの修士論文のことをツイートします。それは、ぼくと二人三脚で作りあげた論文でした。最初は暗闇、それから、驚くべき展開の果てに、二人とも想像もしなかった結論が出ました。ここ何年かで、ぼくがもっとも震撼されたのは、その論文だったのです。 4:28 AM May 4th webから
予告編④ キリスト教と信仰と純粋贈与、それに原罪と小説についてのツイートになるでしょう。願わくば、昨日より早く終わりますように。そうしないと、体がもたないです。それでは、24時に、路上でお会いしましょう。 4:31 AM May 4th webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』4の① 初めて会った院生のAくんの印象は「冴えないなあ」というものでした。「一緒にやっていけるんだろうか」と思ったのです。加藤典洋さんの『敗戦後論』を修士論文で書きたいというAくんと文献をいろいろ読み始めました。でも、彼が考えていることがわからない。 5:02 AM May 4th webから
メイキング4の② 修士論文にとりかかっても同じでした。加藤さんの本の内容をまとめたものばかり。「君の意見がないじゃないか」とぼくは叱責し、「ほんとうにやりたいことはなにか考えてこい」と突き放したのです。数日後、講義室に現れたAくんの口からびっくりするようなことばがでてきました。 5:05 AM May 4th webから
メイキング4の③ 「ぼくは小さい頃、『幼児洗礼』を受けました。それがトラウマになって、前へ進めないんです」と。幼児洗礼って何? というのが、最初の感想でした。しかし、そこにはなにかがある、と直感が教えてくれています。だから、ぼくはAくんに「『幼児洗礼』をやろう」といったのです。 5:08 AM May 4th webから
メイキング4の④ キリスト教では、生まれて数日後の赤ん坊に「洗礼」を施します。つまり、「キリスト教徒」になるのです。よく考えれば変ですよね。「信教の自由」は世界中で認められた権利なのに、知らないうちに「キリスト教徒」にさせられるって。ぼくたちは調べている中にある事件に出会いました 5:11 AM May 4th webから
メイキング4の⑤ 戦争中のことです。二十世紀最大の神学者カール・バルトが、キリスト教界を揺るがす発言をしました。「教会の洗礼論」と名付けられた講演で、バルトは、「幼児洗礼は、教会のからだに傷つけられた傷」と激烈な批判を行ったのです。バルトの批判は、簡単に言うと、こういうものでした 5:15 AM May 4th webから
メイキング4の⑥ 「信仰は、主体的責任を負うことのできる個人が、神との間に直接結ぶ契約なのだ。判断できない幼児に、洗礼という強制を行うのは、信仰でもなんでもない。国民教会に成り下がった教会の組織防衛の儀式にすぎない」と。このバルトの論理は揺るぎないように思えたのです。 5:22 AM May 4th webから
メイキング4の⑦ ぼくはキリスト教徒ではありません。そんな無宗教のぼくにとっても、バルトの論理は過ちがないと思えました。動揺するキリスト教の世界から、敢然とひとりの牧師がバルトへ反論を開始したのです。名はオスカー・クルマン。彼は、バルトの発言の真摯さを認めつつ、こう言ったのです。 5:25 AM May 4th webから
メイキング4の⑧ 「バルト博士。あなたの論理は悲しいほどに正しい。けれど、一つだけ間違っている。あなたが言っているのは、宗教ではないのだ」と。バルトは、主体的な判断ができない幼児への洗礼は、罪だと断定しました。しかし、クルマンは「幼児洗礼は、神からの愛の純粋贈与だ」と言ったのです 5:32 AM May 4th webから
メイキング4の⑨ 「幼児は洗礼によって信仰を強制されるのではない。あらゆる洗礼がそうであるように、まず、神からの愛の純粋贈与がある。これは純粋贈与だから、拒否することも、無視することも、止めることも可能だ。子どもたちはまず愛されたのだ。幼児洗礼にそれ以外の意味はないのである」。 5:35 AM May 4th webから
メイキング4の⑩ ぼくはキリスト教学者ではないので、この論争がどうなったのか詳しくは知りません。けれど、ぼくは、バルトは「負けた」と思ったのではないかと考えています。バルトの信仰の論理は「主体的な個人」と「神」との1対1の契約です。しかし、その論理には致命的な欠陥があるのです。 5:38 AM May 4th webから
メイキング4の⑪ 「主体的な個人」と「神」、でもその関係は「等価交換」の原理そのものです。「ぼくは全存在を賭ける」だから「そこに信仰が発生する」。それって、中世の「免罪符」の構造、「教会にお金を払う」=「死後の世界に貯金する」と同じです。それは、宗教というより現世の論理なのです。 5:43 AM May 4th webから
メイキング4の⑫ バルトの「揺るぎなき個人」、「主体的な個」、「全責任を負う自己」、どれもかっこいい。当然に聞こえる。でも、それって、宗教の外でも、あらゆる場所で、学校でも、国家でも、称賛される言い方じゃないでしょうか。クルマンの批判はおそらくそこにあったのです。 5:46 AM May 4th webから
メイキング4の⑬ じゃあ、クルマンの言う「愛の純粋贈与」ってなんだろう。ぼくとAくんの研究はそこに向かいました。そして、びっくりするようなものを見つけたのです。それは、宗教を成立させる論理、現世の論理とは衝突するような論理でした。たとえば、キリストはゴルゴダの丘で処刑されます。 5:49 AM May 4th webから
メイキング4の⑭ なぜ、キリストは十字架に上ったのか。「自分とは無関係で、会ったことも見たこともない、未来の人々も含めた、全人類のために、勝手に」です。その結果、キリストは殺される。バカでしょう。そんなことをやる人は。「等価交換」=「商品経済」の論理で生きている人間はそう考える。 5:53 AM May 4th webから
メイキング4の⑮ 「神の国? なんか下心、あるんじゃないの」と考える。「そうでなきゃ、あんなことしないだろう」と。現世を生きる者は誰だって。ところが、キリストは頼まれたわけでもないのに、無関係な人のために死ぬわけです。「愛の純粋贈与」です。ここからです。不思議なことが起こるのは。 5:56 AM May 4th webから
メイキング4の⑯ キリストが死んだ後、それまでキリストを無視してきた人々が、信仰の道に入った。キリストの言ったことが理解できたから? 違います。「わからなかったから」だと思うのです。それまでなんでも理解できる(等価交換の原理)と思ってきた人たちが、初めて理解できない原理に触れた 5:59 AM May 4th webから
メイキング4の⑰ 地上の論理、生きる論理とは、この商品経済の世界の論理そのものです。等価交換するためには、お互いの価値を「わかる」必要があります。理解できないものは交換できないのです。すべてが商品経済の論理で埋めつくされた世界。でも、違う原理があることをぼくたちは知っています。 6:02 AM May 4th webから
メイキング4の⑱ 商品経済以前、贈与経済という不思議な世界がありました。神の「愛の純粋贈与」はその名残なのかもしれません。宗教の論理は、地上の論理とちがうものが、この世に存在することを教えてくれます。いや、宗教の他にも、地上の論理と違うものはあります。たとえば、恋愛だってそう。 6:05 AM May 4th webから
メイキング4の⑲ 相手のことが「わからない」から、好きになる。いろいろ検討した結果、恋愛対象としてふさわしいから好きになる……そんなの恋愛じゃないとバルトもクルマンも言うに違いありません。「わからない」から魅かれる。それは、地上の論理以外の論理をぼくたちは求めているからでしょうか 6:07 AM May 4th webから
メイキング4の⑳ これでも論文の4分の1ほどです。1夜じゃ無理ですね。この話はまたすることにしましょう。ただ、一つだけ、言いたいことが残っています。そうです。小説の、というか、芸術の「論理」は、「地上の論理」ではないはずだ、ということです。仮に、それが商品として流通していようと 6:12 AM May 4th webから
メイキング4の21 小説を読む。そこに「わからない」なにかがある。そこには、ゴルゴダの丘に登ったクレージーな男がやったことと同じなにかがあります。地上に生き、そこで死んでゆくはずのにぼくたちにとって理解できないなにかが。だからこそ、ぼくたちは、懲りずに明日もまた小説を読むのです。 6:14 AM May 4th webから
メイキング4の22 今晩は、ここまでにします。ありがとう。聞いてくれて。元気があったら、リプライします。あっ、昨日と同じこと言ってるか。ほんとに、ありがと。さよなら。 6:15 AM May 4th webから
そうです。貨幣は世界を「わかのわかるもの」にするために発明されたんだと思います。 RT @yushioz @takagengen そうすると貨幣って、世界の論理のわけがわかるものとして、開発されたのでしょうか。そう考えると恐ろしくいびつなシステムだと感じました。 6:27 AM May 4th webから
もっとも単純な言い方をすれば、その通りです。 RT @c_nana7 そして貨幣=言葉である、と 6:32 AM May 4th webから
その問題は中沢新一さんが深く追求されています。原理主義はキリスト教の論理の中にもある「地上の論理」の部分にのみ原理的であろうとするからではないかと思います。 @ pearlycorn ではキリスト教徒が原理主義者ほど非キリスト教徒に対して非寛容になっているのは何故なんでしょう? 6:47 AM May 4th webから
こういう「考え」になったのは最近です。でもいま考えると、最初から、こんなことを思っていた気はします。 RT @aniooo高橋さんは、小説を書き始めた時から、小説についてこのような考えをお持ちになったのでしょうか。それとも色々な変遷をたどって、今の観点がこうであるのでしょうか。 7:09 AM May 4th webから
そろそろ離脱します。また、次の24時に。お休みなさい。 7:14 AM May 4th webから
今日の予告編① こんばんわ。もうすぐ「メイキングオブ『「悪」と戦う』」5夜目の時間です。妻の実家に遊びに行っていた子どもたちが帰ってきたのでてんてこ舞い。急に時間が倍の速度で流れ出したみたいです。さっきまで飛び跳ねていたのに、もう爆睡している。邪魔されずにツイートできそうです。 4:40 AM May 5th webから
予告編② 昨日は、ぼくが教えた大学院生Aくんの修士論文の話をしました。「幼児洗礼」の謎から、キリストの「愛の純粋贈与」まで。その続きをもう一晩します。その論文のタイトルは「『関与していないことについて、わたしたちは有責である』ということ」というものでした。変なタイトルでしょ? 4:43 AM May 5th webから
予告編③ もっとくだけた言い方をするなら「わたしたちは、わたしたちと関係のないこと、やってもないこと、見てもいないこと、についても責任を負わなきゃならないことがある」ということです。修士論文の審査では、他の先生たちがくびをひねったのも無理はありません。でも、それが、1年間の…… 4:45 AM May 5th webから
……ぼくとAくんの対話の果てに出てきた結論だったのです。昨晩、ひさびさにその論文を読み返して、ぼくは、それのどこまでがぼくが考え、どこまでがAくんの考えだったのかわからなくなっていることに気づきました。教える、ということは、同時に教えられる、ということだったのかもしれませんね。 4:50 AM May 5th webから
予告編⑤ ところで、ぼくの話が、毎晩、いろんなところへ飛んで(跳んで?)ゆくのに、最後には小説のところへ戻るのには理由があります。それは(ぼくの考えでは)、小説というものが、あらゆる表現ジャンルの中で、もっとも人間に関心を持っているからです。小説は、およそ人間に関することなら…… 4:54 AM May 5th webから
予告編⑥……それがどんなものであっても興味を持たないことはないのです。天上のことから地下のことまで、なんであっても。それでは、24時に。 4:55 AM May 5th webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』5の① もともと、Aくんは加藤典洋さんの『敗戦後論』に着いて論じるために、大学院に来たのです。けれど、遅々として進まぬ研究に業を煮やしたぼくが「きみがほんとうにやりたいのは?」と問うてやり始めたのが「幼児洗礼」の研究でした。キリスト教の幼児洗礼は…… 5:02 AM May 5th webから
メイキング5の② 赤ん坊が、自らの自由意志ではなく洗礼を受けることに根本的な矛盾を抱えていました。それを「教会のからだについて傷」とまで批判したバルトに対して、クルマンが「主体的な信仰などより、神からの一方的な純粋贈与としての愛の方が上だ」と論難したことは、昨晩説明した通りです。 5:05 AM May 5th webから
メイキング5の③ そこまで調べたぼくとAくんは、突然、ぞっとすることに気づいたのです。Aくんがやろうとしていた『敗戦後論』の中身が、「幼児洗礼」と同じじゃないかということにに。加藤さんが『敗戦後論』で言おうとしたのは「憲法(9条)は戦勝国の威圧の下に、日本国民に押しつけられた…… 5:09 AM May 5th webから
メイキング5の④ ……『主体的に』憲法を作れなかった、自前の憲法ではなかったことが、我々の深いトラウマになっている」というものだったのです。そう。「憲法」という「信仰」を、自由意志からではなく、おしつけられた「赤ん坊」が、「日本国民」だったのです。目を見張る発見に、ぼくたちは…… 5:13 AM May 5th webから
メイキング5の⑤ ……『敗戦後論』の中でもっとも記憶に残るエピソードに引きつけられました。それは沖縄の「ゆめゆりの塔」を見学したひとりの学生が「不快感」を綴った文章についてで。その学生は「自分が責任のない過去の戦争について償いの気持ちを要求されること」が不快だったと書いたのです。 5:18 AM May 5th webから
メイキング5の⑥ そこにはなにかがある。「幼児洗礼」の苦痛から憲法、そして「自分に関係のない過去の戦争の責任を負わされることの不快」へ。ぼくとAくんは、その「疑問の海」にダイヴしていきました。小熊英二さんの『「民主」と「愛国」』に出会ったのもその頃です。その本の中で小熊さんも…… 5:25 AM May 5th webから
メイキング5の⑦……同じ問題にぶつかっていました。敗戦直後の知識人たちの言動をつぶさに検討した小熊さんは、かれらが一様に「罪責感」を口にし、「裏切り」や「告白」といったキリスト教用語が頻出し、「敗戦という悔恨を原罪にして」主体性を作れ」という言い方をしていたことに気づいたのです。 5:30 AM May 5th webから
メイキング5の⑧ キリスト教はわからない。神から愛の一方的贈与というのもわからない。誰にも頼まれないのに愛を与えるなんて。もっとわからないのが、「原罪」というやつです。自分ではなにも悪いことをしていないのに、最初から罪がある、というんです。いったい、それってどんな意味があるのか。 5:33 AM May 5th webから
メイキング5の⑨ 悪いことをしたら罪がある。悪いことをしなければ罪がない。「等価交換」の原理でいうと、こうなるはずです。ところが、「原罪」では、最初からマイナスです。神が最初から愛をくださってプラスだった分をちょうど人間の原罪で差し引いてプラマイゼロ。その計算はどこから来たのか。 5:36 AM May 5th webから
メイキング5の⑩ その原理は、等価交換の「原理」が生まれるずっと前からあったものだと思います。人間は自然の前ではか弱い存在でした。それ故、自然の現象ひとつひとつに、自分たちへのメッセージを読み取ろうとした。宗教もそうです。そこでは「自然現象」や動物とさえ交歓することができたのです 5:41 AM May 5th webから
メイキング5の⑪ 「わたしは関係ない」という言葉は常に正しいのです。ぼくたちは自分と関係のないものについてなんの責任もない、ということができます。しかし、それはある時代以降、ある制度以降の言い方であることに気づくべきなのです。ぼくたちが生きる世界は人々を「個」にまで切り刻んだ…… 5:45 AM May 5th webから
メイキング5の⑫ 「一家四人」の家に炊飯器は一個ですみます。けれど「一家一人」なら、四人のそれぞれが炊飯器を買わなきゃならない。すべてを「個」に、が等価交換の原理の行き着く先、資本主義の世界の結論です。そして、「個」は、常に「自分とは関係」ないと言う権利を有するのです。 5:48 AM May 5th webから
メイキング5の⑬ 全員が「わたしには関係ない」と言う世界。それがぼくたちの世界です。そして、それは正しい。その結果がどうなってしまったかご存じの通りです。いや、それは最近のことではありません。キリストが生きた世界もすでにそうだった。そして、キリストは、そんな世界に向かって…… 5:52 AM May 5th webから
メイキング5の⑭……「わたしに関係のないことはない」と奇妙なこと言い、頭がおかしいと言われたのです。「原罪」とは言い換えると、「この世界に関することは全て自分と関係がある」と言うことです。頭がへん? その通り。しかし、それは、切れた繋がりを繋ぎ直す、最後の手段ではなかったのか…… 5:56 AM May 5th webから
メイキング5の⑮ Aくんとぼくが見つけたのは、「幼児洗礼」の理論でも、「憲法9条」の独創性でもあります。この世界で、ぼくたちが唯一と考えている原理以外の原理がかつてあったこと。それは、たとえば宗教という形でも、残っていること。そして、どれほど抑圧され、無視されても、必ず…… 6:01 AM May 5th webから
メイキング5の⑯ ……その原理は、不思議な力で、復活してくるということです。たとえば、レヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだものもそうです。いえ、その、もうひとつの原理は、多くの小説の中で息づいているとぼくは考えているのです。そこは、ある意味で、キリストが立った荒野なのです。 6:05 AM May 5th webから
メイキング5の⑰ Aくんは、「関与していないことについて、わたしたちは有責である」という論理は、苦痛ではなく、希望への道であるとしました。誰かが「有責である」と申告することからしか、争いが終わることはないのですから。そのような不思議な原理があることを、小説はよく知っているのです。 6:12 AM May 5th webから
メイキング5の⑱ Aくんの論文から、ここからさらに、憲法と宗教と国民国家の原理へと攻め上ります。でも、もうここまでとします。この次は、小説の中の表現について具体的にしゃべりたいと思います。Aくん、元気ですか? 教わったのはぼくの方でした。ほんとに感謝しています。ありがとう。 6:14 AM May 5th webから
メイキング5の⑲ 以上です。思考のごった煮だったかもしれません。もし少しでも、考えるきっかけにしていただければ、それ以上の喜びはありません。明日も、みなさんにとって、良い日でありますように。さようなら。 6:16 AM May 5th webから
@kzm_k いちばん大きな理由は、小説には、ふだんぼくたちがそれによって生きている原理ではない原理が含まれている(ことがある)からだと思います。 6:26 AM May 5th webから kzm_k宛
そうですね。「悪人正機説」はその論理に近いなと思ってました。 RT @ totti81 。…「関与していないことについて、わたしたちは有責である」という論理は、苦痛ではなく、希望への道である。これは親鸞が歎異抄の中で語っている悪人正機説が言わんとすることに近しいと思います 6:34 AM May 5th webから
@konux もちろん、小説だけが「対抗原理」を持っているわけではありません。というか、多くの小説は、「等価交換の原理」に従っています。 6:40 AM May 5th webから konux宛
れんちゃんが寝言をいっているのて、そろそろお開きにします。みなさん、ご静聴ありがとう。明日は授業があるし、子どもたちも通常営業(?)なので、やや不安ですが。頑張って、24時には現れる予定です。おやすみなさい。 7:03 AM May 5th webから
今日の予告編① 「メイキングオブ『「悪」と戦う』」も今日で六夜目です。今日は少々(もしかしたらおおいに)おかしなことをやりたいと思っています。予告編もいままでより長く、本編はさらに長くなるかもしれません。それにその本編も「全文引用」のつもりです。ぼくの「自分の言葉」はありません。 4:12 AM May 6th webから
予告編② 確かに「自分の言葉」は大切です。「下手でもいいから自分の言葉で表現するように」と教師は生徒たちに教えてきました。でも、それは控えめに言ってもウソでしょう。ぼくの知る限り、「自分の言葉」といえるようなオリジナリティーがあるのは小学校4年ぐらいまででしょう。 4:14 AM May 6th webから
予告編③ そのあとは、教育され、教え込まれた、みなそっくりな「自分の言葉」になってしまうのです(ぼくの言葉もそこから完全に逃れてはいません)。だとするなら、「他人の言葉」でもいいから、上等のものを聞きたいと思うのです。ぼくが、昔から、引用が好きなのはそのせいかもしれません。 4:16 AM May 6th webから
予告編④ ぼくは十九歳の一年間のうち、八カ月を東京拘置所で過ごしました。そこでの楽しみは、独房の天井近くのスピーカーから聞こえてくるラジオ放送でした。なかでも、もっとも愛聴したのは、NHKの朗読で、ぼくは、森繁久弥の『南総里見八犬伝』や『イワン・デニビッチの一日』を聞いたのです。 4:21 AM May 6th webから
予告編⑤ あの頃、なぜあれほど感動したのでしょうか。確かに、独房での拘禁生活では他に楽しみもなかったからかもしれない。出所後、『八犬伝』も『一日』も読み返しみましたが、あの時の感銘はありませんでした。思うに、朗読は言葉を異様に遅くたどるのです。読むことが空を飛ぶことだとしたら…… 4:25 AM May 6th webから
予告編⑥ …ぼくは聞きながら、言葉の地べたを這いずりまわっていたのかもしれません。もともとラジオが好きだったぼくが、さらにラジオが好きになったのは、その後でした。ツイッターを使うようになって四カ月と少し、ぼくはこの空間が、ラジオにも似ていると思うようになりました。言葉を異様に…… 4:28 AM May 6th webから
予告編⑦…遅く伝え、そのことで、まるで別のもののように見せることのできる機能。ツイッターではRT(リツイート)によって、言葉が拡散してゆきます。時には、変形して、原型をとどめぬほどに。それは、「自分の言葉」とか「私有」とは少し違ったことを意味している、ぼくにはそんな気がしたのです 4:31 AM May 6th webから
予告編⑧ だから、今日はぼくの言葉ではなく他人の言葉を、ここから目の前の公共性の海や放流してみたいと思いました。140字以内に切り刻まれることで、その言葉は元の脈絡を失うでしょう。その損失より、どこの誰のかもわからぬ美しい言葉の断片となって流れてゆくところを見たいと思ったのです。 4:35 AM May 6th webから
予告編⑨ 今日「放流する」言葉は、ぼくが『「悪」と戦う』を執筆中、何度も読み返した文章です。温かさと深みとユーモアとひらめきが、そして深い哀しみがある。でも何よりぼくが魅かれたのは、それが本質的に「闘争」の言葉であるのに、怒りや憎しみから遠ざかることを自らに課していたことでした。 4:38 AM May 6th webから
予告編⑩ ざっと計算したところ、30ツイート以上はかかりそうです。もしかしたら、とちゅうで勝手に切り刻んだり、言葉を変えてしまうかもしれません。でも、その作者は許してくれると思います。そして、自分の言葉が、自由に変形され、流されることを楽しんでくれるはずです。では、24時に。 4:41 AM May 6th webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』6の① これは『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・K・ル=グインがある女子大で行った「左ききの卒業式祝辞」というタイトルの祝辞です。ぼくは自分の本で引用しています。「左きき」は少数派である「女性」をまず意味し、そして潜在的にはあらゆる人々も意味するのです 5:01 AM May 6th webから
6の②「公の席で堂々と女性の言葉でお話しするという類まれな機会を与えて下さったミルズ・カレッジ、1983年ご卒業のみなさんに御礼申し上げたいと思います。男子学生も卒業していくことも存じております。彼らを無視しようなどとは思っておりません。しかし、卒業式というものは……」 5:04 AM May 6th webから
6の③「…卒業生たちはみな男子であるか、あるいは男子であるべきだという暗黙の了解のうちに執り行われるものです。だからこそ私たちはみなこのような十二世紀の衣裳を身につけているのです。おかげで男性は見映えがしますが、女性はきのこか妊娠したコウノトリのように見えるじゃありませんか」 5:06 AM May 6th webから
6の④「知的な伝統とは男性ものなのです。演説は公の言葉、つもり国家あるいは部族の言葉でなされます。そして私たち部族の言葉は男性の言葉です。もちろん女性もその言葉を学びます。私たちは馬鹿じゃありませんからね。その話の内容から、マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガン、あるいは」 5:09 AM May 6th webから
6の⑤「インディラ・ガンジーとソモザ将軍の区別がつく方はどうかその見分け方を教えて下さい。ここは男性の世界です。ですから世界は男性の言葉を話すのです。言葉はすべて権力の言葉です。みなさんもずいぶん頑張りましたね。でも道のりはまだまだ遠いのです。自分の魂を売ったところでゴールに…」 5:11 AM May 6th webから
6の⑥「…到達することはできません。なぜなら、そこにあるのは彼らの世界であって、みなさんの世界ではないからです。もしかしたら私たちは権力の言葉はもう充分に獲得し、人生の戦いについて議論しているのかもしれません。もしかしたら私たちには弱々しさを表す言葉が必要なのかもしれません」 5:14 AM May 6th webから
6の⑦ 「今、みなさんが大学というこの象牙の塔から現実の社会へと前進し、出世街道を歩むことを私は希望しますとか、あるいは少なくともご主人を助け、私たちの国の力を維持し、あらゆる点で成功を収めることを望みますと言うのではなく……権力を論じるかわりに、もし私がここで、この公の席で…… 5:17 AM May 6th webから
6の⑧「…女性のように話をしたらどうなるでしょう? それは場違いに響くことでしょう。とんでもないことになるに違いありません。私がまず第一にみなさんに望むことは、もし仮に、もしですよ、子供が欲しいならお持ちなさいということです、と言ったらどうなるでしょう。なにもたくさんはいりません 5:20 AM May 6th webから
「…二、三人で充分です。可愛いお子さんだといいですね。みなさんも子供たちも食べるものがちゃんとあって、友人も、自分のしたい仕事も持てるといいですね。さて、みなさんはこういうことのためる大学に来たのでしょうか? それだけのためですか?成功の方はどうなったのでしょう?」 5:22 AM May 6th webから
「成功とは他の人の失敗を意味します。成功とは私たちが夢見つづけてきたアメリカン・ドリームです。わが国の三千万人もの様々な地方の人々の大半は貧困という恐るべき現実を見据えながら生活しているのですから。そう、私はみなさんにご成功を、とは申しません。成功についてお話する気もありません」 5:25 AM May 6th webから
6の⑪「私は失敗についてお話したいのです。なぜなら、みなさんは人間である以上、失敗に直面することになるからです。みなさんは、失望、不正、裏切り、そして取り返しのつかない損失を体験することでしょう。自分は強いと思っていたのに実は弱いのだと気づくことがあるでしょう。所有することを…」 5:28 AM May 6th webから
6の⑫「…目指して頑張ったのに、所有されてしまっている自分に気づくでしょう。もうすでに経験ずみのことと思いますが、みなさんは暗闇にたったひとりで怯えている自分を見いだすことでしょう。私がみなさん、私の姉妹や娘たち、兄弟や息子たちすべての人々に望むことは……」 5:30 AM May 6th webから
6の⑬「…そこ、暗闇で生きていくことができますように、ということなのです。成功という私たちの合理的な文化が、追放の地、居住不可能な異国の地と呼び、否定しているそんな土地で生きていくことを願っています。どのみたち、私たちは異国人ですね。女性は女性であるがゆえに、男性が自ら宣言した… 5:32 AM May 6th webから
6の⑭「…この社会の規範から除外され、遊離しています。この社会では人間は男(マン)と称し、尊敬すべき唯一の神は男性で、唯一の方向は上昇なのです。そうです。それは彼らの国なのです。私たちは私たち自身の国を探し求めようではありませんか。私はセックスのことを言っているのではありません」 5:35 AM May 6th webから
6の⑮「私は社会のこと、いわゆる人間の制度化された競争、侵略、暴力、権威、および権力の世界のことをお話しているのです……そして、それに対して、私は、私たち自身のやり方でことを進めたらどうかとお話しているのです……いえ、彼らに『対抗しろ』と言っているのではありません。なぜなら……」 5:40 AM May 6th webから
6の⑯「…それもやはり男性の規則に従ってプレイすることになるのですから。そうではなくて、私たちとともにいる男性と手を合わせて進むのです。これは私たちのゲームなのです。大学教育を受け、自立した女性がなぜマッチョな男と戦ったり、あるいは彼に仕えたりしなければならないのでしょか?」 5:42 AM May 6th webから
6の⑰「なぜ彼女は彼のやり方に従って生きなければならないのでしょうか? マッチョな男たちは合理的でも明瞭でも競争的でもない何でもない私たちの流儀を恐れています。ですから、彼はそういったものを軽蔑し、否定するように私たちに教えこんできたのです。私たちの社会の中で女性は人生の……」 5:45 AM May 6th webから
6の⑱「…あらゆる側面を生きてきました。そして、それゆえに軽蔑されてきました。人生のあらゆる側面には無力、弱さ、病気、非合理で取り返しのつかないもの、曖昧で受動的で、抑えがきかず、動物的で、不浄なものすべて……影の谷間、深み、人生の深さも含まれています。そうしたもの一切に……」 5:48 AM May 6th webから
6の⑲「…対して責任をとることも女性の生きてきた人生なのです。兵士が否定し、拒否するものすべてが私たちに残され、私たちとともにそうしたものを共有する男性は、それゆえに私たちと同様、医者ではなく看護士の役しかできず、兵士ではなく民間人の、酋長ではなくインディアンの役割しかないのです 5:50 AM May 6th webから
6の⑳「それが私たちの国なのです。私たちの国の夜の部分です。もし昼間の部分、高い山脈や明るい緑の大草原があるとしたら、私たちは開拓者がそれを語る物語しか知らず、そこにはまだ到着していません。マッチョな男たちの真似をしたところで、そこに行くことはできません。私たちは自らのやり方で… 5:52 AM May 6th webから
6の21「…前進し、そこで生活し、私たち自身の国の闇夜を生き抜くことによってのみ、そこに到達するのです。そこで私がみなさんに望むのは、女性であることを恥じたり、精神病室の社会機構の囚われの身であることに甘んじる囚人としてではなく、土着の人間としてそこに生きることです……」 5:55 AM May 6th webから
6の22 「みなさんがそこでくつろぎ、家を持ち、自分自身の部屋を持つ自分自身の主人として生きることです。そこで自分自身の仕事に従事することです。仕事は自分の得意なものなら何でもよいのです。芸術であれ、科学であれ、科学技術であれ、会社経営であれ、ベッドの下の掃除であってもよいのです 5:57 AM May 6th webから
6の23「それは女のする仕事だから二流の仕事だ、などという人がいたら、くたばっちまえ! と言ってやると同時に、男女平等の賃金を支払わせるのです。また、みなさんが誰かを支配したり誰かに支配されたりする必要に迫られることなく生活していくことを私は希望します。私はみなさんが決して……」 6:00 AM May 6th webから
6の24 「…犠牲者になるなどないよう望みますが、他の人々に対して権力を振るうこともありませんように。そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、暗闇こそあなたの国、あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、しかし未来が 6:02 AM May 6th webから
6の25「…存在するところなのだということを思い出してほしいのです。私たちのルーツは暗闇の中にあります。大地が私たちの国なのです。どうして私たちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょう……周囲や足下を見るのではなく。私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。ぐるぐる旋回する 6:04 AM May 6th webから
6の26「…スパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。上からではなく下から。目をくらませる明かりの中ではななく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです」……以上です。 6:06 AM May 6th webから
いいですよね。ナンシー・ウッド RT @sonnet2009 @takagengen 私の土地は平穏で私をとり巻いている。私の畑はもう最後の鋤を入れ終えた。わが家は笑い声で満ちている。子どもたちが帰ってきた。うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。(ナンシー・ウッド) 6:31 AM May 6th webから
@maijuinjuiette ありがとうございます。「放流」した言葉、自由にお使いください。 6:36 AM May 6th webから maijuinjuiette宛
そろそろ限界ですので、もう寝ます。明日は、この5年間でぼくが教えた学生たちからいちばん評判のよかった小説の話の予定です。まったく意外な小説で、ぼくもびっくりしたんですが(学生たちも同様)。お付き合いくださってありがとう。お休みなさい。 6:59 AM May 6th webから
今日の予告編・1 7夜目が近づいてきました。そろそろ気持ちを切り換える準備をしているところです。「前もって書いておいたりしないのですか?」と訊ねられました。実は、少し書いておこうかと思い、試してみました……がまるでダメでした。ぼくは、下書きとか準備とかメモとかができないのです。 4:33 AM May 7th webから
予告編・2 なので、ほとんど空白でパソコンに向かいます。もちろん、何度か考えたことがあることを扱います。でも、今日は、どこへ転んでゆくかわからない。自分でも面白くなければ、考える意味がない。そう思います。でも、まだ体が慣れなくて、眠くなっちゃうんですよね。頑張ります。 4:37 AM May 7th webから
予告編・3 今日はある素敵な小説の話をする予定です。ぼくの講義では新しい小説を読みます。ここ何年かに出版された若手作家たちの小説はほとんど読んでいるでしょう。ふだん読書をしない学生たちに、いちばん新しい現代文学を読んでもらう。初々しい反応が返ってきます。どっこい、文学はまだ大丈夫 4:39 AM May 7th webから
予告編・4 でも、この五年間でもっとも強烈な反応が返ってきたのは「若手の現代文学」ではありませんでした。それはなんというか言語に絶する反応だったのです。と同時に、講義があれほど楽しかったことはありません。隣の教室から「先生、いったい何の授業やってんの?」と言われたぐらいでした。 4:42 AM May 7th webから
予告編・5 その本は目の前にあります。引用する余裕があるかどうかわかりません。引用せずに説明するなんて不可能なんですけどね。まあいいでしょう。やれることをやるだけです。昨日、当時の生徒のSさんに「あの小説の話をするよ」と言ったら「あの楽しさを説明するのは無理!」と言われました。 4:46 AM May 7th webから
予告編・6 そうかも。でも、やってみる価値はあると思います。あと少しです。じゃあ、24時に。 4:48 AM May 7th webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』7の1 その小説を、ぼくは誰にでも勧めようとは思いません。というのも、それを読んだ学生の3分の2は「勘弁してください」とか「……先生、正気ですか?」とか「これ、小説じゃないですよね」とか、時にはただ無言でにやにや笑うだけ、という反応だったからです。 5:06 AM May 7th webから
メイキング7の2 逆に、残りの3分の2の学生は、おおいに「感動」したわけなのですが、その「感動」の仕方が変わっていました。授業中だというのに、本を読みながらゲラゲラ笑ったり、体をゆすったり、空中を見つめてニヤついたりという、およそ読書とは関係のなさそうな反応だったのです。 5:10 AM May 7th webから
すいません。なぜか、トウィッターが非常に重く、しかも、ツイートした分が消えたりして不安定なのです。少し時間がかかるかもしれませんが、悪しからず。 5:14 AM May 7th webから
メイキング7の3 その小説は4年ほど前に亡くなった小島信夫さんの遺作となった『残光』という作品でした。この小説が発表された時、小島さんは90歳(!)でした。そして、刊行してまもなく、亡くなったのでした。この小説ばかりではなく、小島さんの書いた小説の多くは、大いにイカレています。 5:17 AM May 7th webから
メイキング7の4 小島さんは、タイトルを決めなかったそうです。「なんか適当につけておいてくれ」。そんな感じ。そればかりか、いったん書いた原稿は読み返さない。まあ、目が悪かったせいもあるそうですが、ふつう読み直しますよね。でも、書きっぱなし。通常、原稿はゲラというものになります。 5:20 AM May 7th webから
メイキング7の5 そのゲラを校正者が見て間違いをチェックし、それを作者が確認する。だから、みなさんが読んでいる本は全部「検閲済み」です。ところが、小島さんはゲラも見ない。直す気がない。というか、間違いを直すと怒る(?)。だから、小島さんの小説には信じられない間違いが残っています。 5:24 AM May 7th webから
メイキング7の6 でも驚くのはまだ早い。ほんとうに驚くのは頁をめくってからです。一つの文章で、主語が「私」、「ぼく」、「彼」、「小島信夫」、「夫」と変わる。全部同一人物です。めまいがします。ある話をしていて、次の行で何の関係もない別の話になり、また次の行でまったく別の話になる。 5:27 AM May 7th webから
メイキング7の7 きわめつけは会話です。一度、小島さんと奥さんの会話の部分を、どれを誰がしゃべっているか、学生たちに解説させてことがあります。そうしたら、全員、違う意見になったのです! Aさんは夫・妻・夫・妻・夫・妻、Bさんは夫・妻・夫・夫・妻・夫、Cさんは夫・妻・妻・夫・夫…… 5:30 AM May 7th webから
メイキング7の8 いやいや、それもまた序の口で、そもそも日本語になっていないところ、文法がおかしいところが満載です。小島さんの『残光』に比べたら、『不思議の国のアリス』なんて、生真面目で正常すぎて、面白くもなんともない……ってなものでした。こんな本を読まされる生徒はたいへんです。 5:38 AM May 7th webから
メイキング7の9 さっき言ったように、生徒の3分の2は中毒症状を起こして入院(?)、でも残りの3分の1は、最初のうち、こわごわ読んでいたのに、途中からははっきりいって、変な薬でも飲んだんじゃないかという激烈な反応を引き起こしたのでした。「わけわかんないですよね」「うん、そうだね」 5:40 AM May 7th webから
メイキング7の10 「わけわかんないのに、なんかチョー面白いんですけど、わたし、変なんでしょうか?」「変でいいじゃん」とぼく。というわけで、ぼくの許可が下りたので、思いきり、生徒たちはその変な小説に感染していったのでした。では、そのクレージーな小説はなぜ面白かったのでしょう。 5:44 AM May 7th webから
メイキング7の11 「ぼく」「私」「夫」「小島信夫」といった区別がつかなくなる。それは「ボケ」の症状と同じです。話と話が次々、脈絡なくワープしてゆく。それも「ボケ」の症状と同じ。誰が何をしゃべっているのかわからなくなる。それも「ボケ」の症状。日本語がおかしい。明らかに「ぼけ」…… 5:47 AM May 7th webから
メイキング7の12 分析の途中で、生徒がマジメにこう言いました。「先生、小島さんって、ボケ……てるように見えるんですが」「うん、そうかも」。その通り、小島さんは晩年、「ボケ」ているように見えた(小説も)。でも「ボケ」ているように装っていただけかも。というか、両方だったのかも。 5:49 AM May 7th webから
メイキング7の13 さて、ここからは、『残光』を分析した3分の1の学生諸君の考えた結論です(残りの3分の2は気を失ってしまったので意見は聞いていません)。『残光』が楽しく面白いのは、主人公というか、作者というか、小島さんというか、要するに「私」が、異様な場所にたどり着いたからです 5:53 AM May 7th webから
メイキング7の14 「私」は「ボケ」る。「ボケ」てどうなるか。社会から教えられた規則を忘れてしまうのです。たとえば、「私」で始めたら「私」で通す。そうしないとわかりにくいから。でも、みなさんも自分のことを「私」といったり「ぼく」といったり「××ちゃんのママ」といったりするでしょう 5:57 AM May 7th webから
メイキング7の15 前後の脈絡のない話をしたり、文法を間違えまくったり、意味不明のことをしゃべったりするでしょう。でも、それを「社会」が「校正」したり「書き直し」たりして、まともに考えているような気にさせてくれるのです。この「校正」や「書き直し」のことを「教育」と呼ぶのです 6:00 AM May 7th webから
メイキング7の16 「私」は「ボケ」て規則を忘れる。そして、なにも教わらなかった頃に戻るのです。『残光』の老いて「ボケ」た「私」の行動や言葉は奇妙です。けれども、不思議な一貫性がある。ぼくは、ここにもレヴィ=ストロースのいう「野生の思考」によく似たなにかがあるような気がしました。 6:04 AM May 7th webから
メイキング7の17 ここでも、ぼくたちは、この7夜間、ずっと話してきた同じものに出会うのです。「野生の思考」とは、「国家成立」以前、「等価交換」の論理や「商品経済」以前にあったとされる、思考方法です。それは失われてしまったように見えて、実は、特別な場所に、生き続けています。 6:08 AM May 7th webから
メイキング7の18 それは、夜見る夢です。「夢の論理」は「野生の思考」の子孫なのです。そして、社会から「等価交換の論理」を教え込まれていない「こどもの思考」、それもまた、「野生の思考」の生き残りです。そう、『残光』の主人公は「夢の論理」や「子どもの思考」へ戻る旅路にあるのです。 6:11 AM May 7th webから
メイキング7の19 『残光』に生徒たちが異様な反応を示したのは(くれぐれもいいますが3分の1ですよ)、「老い」がなにかの消耗の結果や絶望ではなく、失われた輝かしい「原初的思考」への回帰であることが断言されていたからでした。ある生徒はいったのです。「先生、私、はやくボケたーい!」 6:14 AM May 7th webから
メイキング7の20 いやはや。90歳の老人にできて、ぼくたちにできないなんてことがあるでしょうか。この世で「最弱」と思える「ボケ」老人でさえ、あれほどのことができたというのに。小島さんは、自ら望んで、そんな世界にダイヴしたとぼくは思っています。今夜は、ここまで。ご静聴ありがとう。 6:19 AM May 7th webから
お勧めは「規則を無視する」です。 RT @dzna @takagengen まだボケていない(たぶん)私の場合、意識ではなく無意識の力を借りるのが最善のように思えてきました。夢も無意識の産物だし・・とりあえずボケるまでは。 6:26 AM May 7th webから
さあ、そろそろ撤収します。今晩も最後までお付き合いくださってありがとう。また、次の24時に。おやすみなさい。 6:56 AM May 7th webから
今日の予告編1 こんばんわ。そろそろですね。少しうとうとしていたら、もうこんな時間です。言ったかもしれませんが、もう何年も、この時間には熟睡していたのです。体の方は不思議がっています。慣れるまでには、まだ少々時間がかかるかもしれません。 about 15 hours ago webから
予告編2 今日は…そうですね、なにかを書く、という時、その人にとってよく知っていることより、よく知らないことの方がいい、ということについてしゃべりたいと思っています。というか、どんな痛切な経験の持ち主も、その痛切な経験をうまく書けないし、書くべきではないか、ということについて…… about 15 hours ago webから
予告編3 それはたぶん、多くの人たちにとって……ぼくにとっても……常識に反するバカバカしい意見なのですが。まあいいでしょう。続きは24時からです。それでは。 about 15 hours ago webから
メイキングオブ『「悪」と戦う』8の1 去年、ある文学賞の選考会の席で、ある作品……いや、具体的に名前を出すことにしましょう。奥泉光さんの『神器』という小説です……その『神器』をめぐって激しい議論が交わされました。『神器』を強く推すぼくのような若手(ではないのですが)作家に向かって about 15 hours ago webから
メイキング8の2……豊かな経験を持つずっと年上の選考委員がこう言ったのです。「この人は戦争がどういうものなのかよく知らないのだ」と。まことに、実際に戦争を経験した人たちにとって、「戦争を知らない」世代が書く戦争小説には、読むに耐えぬところがあるにちがいありません。そして同じ頃…… about 15 hours ago webから
メイキング8の3……やはり、時代も内容もまったく異なる作品で、ぼくは同じような風景を目にしたのです。それは、小熊英二さんが書いた『1968』という上下で2000頁以上ある巨大なドキュメンタリーで、その本の中で、小熊さんは、1968年を中心に起こった「学生反乱」について描いたのです about 15 hours ago webから
メイキング8の4……しかし、その本に対して、実際に「1968年」を経験した当時の若者たちは「そんなことはなかった」とか「ぼくの見たものとは違う」と言って、作者を批判したりしました。けれども「1968年」に若者のひとりであり、その本にとりあげられている一人でもあるぼくは…… about 15 hours ago webから
メイキング8の5……「小熊さんは当時まだ子どもで、なにが起こったのかを自分の体や目で確かめることできなかったろうが、それでいいのだ。直接には知らない小熊さんの書いたものの方が、直接そのことを知っている我々が書くものよりずっといい」と言って、同世代の人たちの顰蹙をかったりしたのです about 15 hours ago webから
メイキング8の6……奥泉さんの『神器』……これは1945年頃ある軍艦の乗組員が現代にタイムスリップするという、真剣な戦争小説を念頭に置いて考えている人たちを逆撫でするような作品なのですが……に対しても、ぼくは「まだ生まれていなかった彼こそ戦争を描く資格がある」と言いたかったのです about 14 hours ago webから
メイキング8の7……ぼくがそのように言うと……戦争を体験した人より、未経験の奥泉さんこそ戦争を書くべきだとか、「1968年」の参加者より、その頃子どもだった小熊さんこそ、あの時代を描くのにふさわしいとか、言うと、「あいつはまた変なことを言っている」と思われてしまうのです。 about 14 hours ago webから
メイキング8の8……ぼくは今年で59歳になります。この歳になると、絶対に口外できないこと、墓場まで持ってゆくことになるだろうというようなことだっていくつもあります。そこまで行かなくとも「他人には理解できにくいだろう痛切な経験」だって一つや二つではありません。そして、いつかは…… about 14 hours ago webから
メイキング8の9……書いてみたいと、他の誰でもなく、ぼくこそが書くべきであると思いこんできたのです。そして、ぼくが書こうとしていることに近いところで書こうとしたり、同じような内容のことを誰かが書こうとすると、「なにもわかってないくせに!」などと呟いたりしていたのです。だがある日… about 14 hours ago webから
メイキング8の10……ぼくは愕然としたのです。「いやはや、ぼくは、戦中世代が、ぼくたちに対して、『戦争を知らない連中だ』などと言うのと同じことを言ってるじゃないか!」と。ぼくは、自分の経験、自分の痛切な経験を、自分の「正しさ」を疑っていませんでした。そして、なにか「権利」でもある about 14 hours ago webから
メイキング8の11……と思い込んでいたのです。もう少しだけ、具体的に話しましょう。1960年代の末頃、政治闘争がもっとも激しかった頃、ぼくはその熱い場所、その近くにいました。何人かの学生たちが死んだり、殺されたりする現場にいたのです。そして、ぼくは愚かにも「ぼくは知っている」と… about 14 hours ago webから
メイキング8の12…思ったのです、いや「ぼくは見た」とか「ぼくにはしゃべる権利がある」と思ったのです。そして、何年も(、「いつかは書かねばならない」と思い、さっきもつぶやいたように、あの季節や事件について触れるものを目にすると、「あの現場にいなかったくせに」と舌打ちしたのです…… about 14 hours ago webから
メイキング8の13……だがある日、ぼくは気づいたのです、ぼくにとっていちばん大切なのは「自分の正しさ」だったのです。あることを、ある歴史を、ある事件を正確に描きたい、のではなく、「あの現場にいた自分だけが語る資格がある」ことを他人に認めてもらいたかったのです。そして、誰かが…… about 14 hours ago webから
メイキング8の14…その現場に近づくと「しっしっ、あっちへ行け、権利があるのはぼくなんだ」と言うのです。確かに、「現場」にいた人間には「おれが見た」という権利がある。しかし、その権利は、いつか、自分以外に現場に近づく人間を排除するようになるのです。ぼくは、それを「正しさの呪縛」と about 14 hours ago webから
…呼ぶようになったのです。ぼくは結局、ぼくの「痛切な経験」を書かないでしょう。いや、書けないでしょう。ぼくもまた自分の「正しさの呪縛」に陥り、「完全に正確でなければ書く意味がない」と思い込んでいるからです。つまり、ぼくこそが、ぼくの経験の再現の、真の「敵」だったのです。 about 14 hours ago webから
メイキング8の16…だから、ぼくは、『1968』が、その経験者たちから「事実と違う」と批判された時「事実と違うからいいのだ。堂々と間違うことができるからこそ価値があるのだ。細部になにがあったのか最終的には再現することが不可能であることを知っているからこそ素晴らしい」と言ったのです about 14 hours ago webから
メイキング8の17…「現場」にいるのは誰でしょう。ぼくたちひとりひとりにとって。そう、ぼくたちにとって、「私」こそが、最初で唯一の「現場」です。そして、その「現場」のことは、自分しか知らないのです。だからこそ、我々は、小説の中で、様々な表現なことで、唯一無二の「私」と書くのです。 about 14 hours ago webから
メイキング8の18……だとするなら、「私」こそ唯一の「現場」だとするなら、「私」たちは、誰も、他の「私」、すなわち「彼」や「あなた」のことを書くことはできません。ほんとうに正しく「彼」や「あなた」のことを知っているのは、あるいは書けるのは、当人だけなのですから。それにもかかわらず about 14 hours ago webから
メイキング8の19…ぼくたちは、他の「ぼく」について書こうとします。「正しく」書けるはずもなく、その権利もないのに、なぜ、ぼくたちは、他の「ぼく」について書こうとするのか、そして、そのことを、小説は、その表現の根幹に置くのか。それは、小説が、「正しくあろう」とするのではなく…… about 14 hours ago webから
メイキング8の20……「間違いがあろう」と、いや「必ず間違うであろう」と確信しながら、それよりも「他の『ぼく』と繋がること」を最大の使命としているからです。「ぼく」のことは他人が書けばいいのです。そしてそれは間違うでしょう。いいじゃありませんか。それより大切なことがあるのですから about 14 hours ago webから
メイキング8の21…小説は、様々な「ぼく」が、他の様々な「ぼく」を誤解しつづけた歴史のようなものです。ぼくが、そんな小説を、なにより好むのは、「正しさの呪縛」から抜け出すやり方を教えてくれるからです。いわく「愛せよ」と。今晩はここまで。ご静聴ありがとうございました。 about 14 hours ago webから
おっしゃる通りです。このツイートは「正しさ」の方を向いていると思います。だから、そうではない「小説」を書くのですが RT @glas_glas 「○○の呪縛から抜け出す」「最大の使命」「表現の根幹」……小説に対するこうした評価も、やっぱり「正しさ」のほうを向いているような気が。 about 13 hours ago webから
ずっと気をつけてます。 RT @tsukunes 「オウム事件」、「阪神大震災」、「エヴァ」などをリアルタイムで経験した(と思い込んでいる)われわれ80年代生まれの人間は、今後ますます、より若い世代に対して「あの場所にいなかったくせに」などと吐き捨ててしまいそうです about 13 hours ago webから
おそらく。でも多くの小説はそうです RT @ it663 小説が、隠喩や象徴の配列によって、直接には言えないことを迂回して(夜見る夢のように)言うものだとすれば、高橋さんの初期作たちもそういうものだったのでは(当事者であったが故に『1968』を書けないジレンマに対するための)? about 13 hours ago webから
ぼくもさびしくなります。「正しさ」はあると思います。どこか別の場所に。 RT @watarubird でも、そうすると「正しさ」、つまり「その時に実際に起こったこと」が置いてけぼりにされているような気がして、少しさびしいです。あるいは「正しさ」というのは幻想なんでしょうか? about 13 hours ago webから
では、そろそろ寝ます。今日もちょっと暑苦しい話でしたね。たまには、爽やかなツイートしたいですね。無理かもしれないけど。じゃあ、また明日の24時、この場所で。おやすみなさい、ありがとう。 about 13 hours ago webから