『話』のない小説

柄谷行人『日本近代文学の起源』
VI 構成力について 〜その二 「『話』のない小説」論争〜

芥川にとって「話」は何を意味していたのだろうか。
“「話」らしい話のない小説はもちろん唯身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遥かに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思ってゐない。が、若し「純粋な」と云ふ点から見れば、—-通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も純粋な小説である。もう一度画を例に引けば、デツサンのない画は成り立たない。しかしデツサンよりも色彩に生命を託した画は成り立つてゐる。幸ひにも日本へ渡つて来た何枚かのセザンヌの画は明らかにこの事実を証明するであらう。僕はかう云ふ画に近い小説に興味を持つてゐるのである。”
芥川自身が絵画を例にとっているということからみても、彼のいう「『話』のない小説」がいかなる文脈で語られているかは明瞭であろう。すでにいったように、後期印象派は、まだ遠近法に属しているとはいえ、そのような作図上の均質空間に対して「知覚空間」を見出している。芥川のいう「話」とは、見とおし(パースペクティブ)を可能にするような作図上の配置にほかならない。しかし、重要なのは、たんに芥川が第一次大戦後の西欧の動向に敏感だったということではなく、また彼がそのような作品を書こうとしたことですらもなくて、西欧における動向を日本の「私小説的なもの」と結びつけてことである。
(……)
芥川がみたのは、告白か虚構かというような問題ではなくて、「私小説」というものがもつ配置の在りようだったといえる。芥川は、それを中心をもたない断片の諸関係としてみたのである。
(pp.224-225)

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