さしあたってseesを聴き直してみたので、気になった部分を書いておく。
また、時間があるときにレコーダーを手放してはならない。常に持ち歩くこと。
気になった点
足し算の問題
順序の処理だけでなく、足し算的な方法をとっていたのは覚えているが、この方法はあまり有効ではない気がしている。というのも、足し算的な複雑性というものは、簡単にそれをラッピングしてしまうような認識・認識論が成り立ってしまうからだ。
足し算的複雑性は、完全であるという状態が常に自動的に更新されてしまうものだった。完全性はいつでも自明のものであり、最前線に認識される。
対して、引き算的な方法では、もう少し複雑であるように思う。というのも、引き算される前の完全な状態というものが、簡単には復元(想像)できない。何かが不在だと思うための、そもそもの完全性は自明のものではない。つまり、引き算的複雑性とは、何かが欠けている(引き算されている)と認識してしまう状況にいなければならないうえに、そのための完全性も認識していなければならない。完全であるという前提(しかしこれは自明ではない)と、その欠落が認識されなくてはならない。
要は、足し算的複雑性は、この場合、ぜんぜん複雑ではなく、デレンジメントもしくは多義性を持っていなかったのだ。
制作当初より、疑念があったのやはり問題があったからなのだった。周波数の足し合わせの延長で現象を捉えていたのが浅薄であった。足し算ができるとしても、単純な足しあわせではないのかもしれない。
次に
類似・近接
意識的に制作していなかったが、音の聞こえ上の類似を問題にしているような箇所あった。よく似ている別の音を前後に配置して順序良く再生しているような箇所である。これは、あまり意識的におこなっていなかっただけに、なにかの萌芽のようにも思われたので、さらに拡大して考える必要があると思われる。
最後に、
言葉
言葉における意味にとらわれすぎている感があり、対象はあらゆる音であったことを忘れてはならない。これがうまくいくためには日頃からの録音が必要であると強く感じた。
気になった音
遠くで人の声がする音が面白い。校庭の向こう端のテニスコートで女の子たちが何か声を出している音だ。monoでも、こういった音の性質は幸か不幸か、ある程度保存される(空間性が全く分からなくなってしまったりはしない)。