技術について

—-この絵のもとになっているのは何ですか。
 出発点は裸体そのものです。寝たり、立ったりしているだけの古典的な裸体とは違った裸体をつくること、そしてそれを運動の中に置くことです。(……)『階段を降りる裸体』において、私は運動の静的なイメージを作り出そうとしました。運動はひとつ抽象、タブローの内部で分節された演繹であって、現実の人物が、やはり同じ現実の階段を降りているのかどうかなどというのは、どうでもいいことなのです。実際、運動というのは、タブローにそれを合体させる観客の眼のことなのです。
(p.53)
—-『花嫁』までは、あなたの探究は持続を表現すること、図示することのうちに表されていましたね。それが『花嫁』以降は、ダイナミックな運動が止まってしまったような印象を受けます。それはちょうど器官がその機能に置き代わったようなものです。
 だいだいその通りだと思います。私は運動の観念、あるいは運動を何らかのやり方で記録するという観念すら、完全に忘れてしまいました。(……)
—-『大ガラス』のアイディアは、あなたの頭のなかでどのように生まれたのですか。
 わかりません。技術的なものであることもしばしばあります。ガラスは、支持体としてたいへっほもしろいと思いました。その透明さがね。それだけでもたいしたものだった。それから絵具は、ガラスの上に置かれれば、反対側からも見ることができるし、中に閉じこめてしまえば、酸化することもなくなります。色彩は視覚上の純粋さを可能なかぎり長く保ち続けるでしょう。こういったことすべてが技術上の問題を作りあげ、それもまたそれなりに重要なものだったのです。
 さらに透視画法もひじょうに重要なものでした。『大ガラス』はまったく無視され、けなされていた透視画法を復権しようとするものなのです。透視画法は、私のもとで、完全に科学的なものとなったのです。
—-写実主義の透視画法ではありませんでしたね。
 はい。数学的な、科学的な透視画法です。
—-計算に基づいていたのですか。
 ええ、それと次元に。それが重要な要素です。私が中に入れたもの、それが何だったかわかりますか。私は歴史や、よい意味での逸話を、視覚的な表現に混ぜ合わせたのですが、視覚性、眼に見える要素には、普通ひとがタブローに与えているほど、重きを置きませんでした。私はもうあまり専念する気はなくなっていたのです、視覚的な言語には……
—-網膜的な
 それゆえ網膜的な。すべてが観念的なものとなりました。つまり、それは網膜とは別の何かに依拠しているのです。
(pp.72-73)
—-技術的な問題以上に、あなたが取組まれたのは、科学的な問題でしたね。比率や計算の問題。
 すべての絵画は、印象主義以来、スーラも含めて反科学的なものになっています。それで私は科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました。(……)私がそれをしたのは、科学に対する愛からではありません。反対に、むしろ科学を、おだやかで軽い、取るにたらないやり方でけなすためだったのです。でも皮肉なものです。
(p.74)
—-そんなにわずかでしょうか。あなたの数学の知識には、あなたが科学的な教育を受けてこられなかっただけにいっそう驚かされます。
 いいえ、そんなことは全然ありません。その頃のわれわれの関心の的だったのは、四次元でした。『グリーン・ボックス』の中には、四次元に関するメモがたくさんあります。(……)
 ともかく、私はそのころポヴォロフスキーが書いたものを読んでみようとしました。測度とか直線とか曲線とかを説明したものです。私が仕事をしているときに、そういったものが私の頭の中で働いていました。『大ガラス』に計算を持ちこんだりはしませんでしたがね。私は単に、投影、不可視の四次元の投影というアイディアを考えただけです。四次元を眼で見ることはできませんからね。
 三次元の物体によって影をつくることができることはわかっていましたから、—-それはどんな物体でも、太陽が地面につくる射影のように、二次元になります—-、単純な知的な類推によって、私は四次元は三次元のオブジェに射影されるだろうと考えました。別な言い方をすれば、我々が何気なくみている三次元のオブジェは、すべて、われわれが知ることのできない四次元のあるものの投影なのです。
(pp.75-76)

※この後、ルーセルについて「方向、あるいは反ー意味(アンチーサンス)の方向で何かを試みることができる、という考えを私は彼から吹込まれた」(※given)との記述が見られる。
(『デュシャンは語る』 マルセル・デュシャン×ピエール・カバンヌ(岩佐鉄男 小林康夫 訳) ちくま学芸文庫 1999年)

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