岡崎乾二郎「微笑む力(トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー公演レビュー)」
http://realkyoto.jp/review/trisha-brown_in-plain-site/
サイト・スペシフィックという語は誤解されている。場所の特殊性に沿うのではなく、その場が備えている、そこに存在する事物や行動を束縛している条件、規則に関わらず、自立した規則をもった行為がそこに介入されることが重要なのである。結果として異なる規則つまり法をもった複数の場の衝突と葛藤が現れ、このコントラストこそがその場が潜在的にもっていた特性を際立たせる。ここに現れるのはもっとも原初的な政治的葛藤だといえるだろう。
私も同じことを100年ぐらい言っているのだけれど、全然理解されない。
数年前の3331のアーティスト・イン・レジデンスにまつわるトークイベントで、会場を炎上させつつも私が繰り返し言っていたことはまさにこういうことで、レジデンスにおけるアーティスト(ないし作品)の存在の意味は、その自律性=別の法に準拠していること、つまり非同期性にあるのだ、ということを申し上げたのですが、「アートで社会に貢献」とか「町おこし」的な文脈でオッサンに絡まれて終わったのでした。